山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

エクスタシー会社

朝日新聞に「高校の元教師がエクスタシー会社設立」という記事があった。

へえ、高校の先生がねえ、でも、エクスタシー会社って何を売るんだろう。
まさか、麻薬?なわけないし、(だいたい朝日が好意的に取り上げるか?)
じゃ、順当にいって風俗?しかしそれだって朝日が・・・。
普通に考えると、「セックス ボランティア」みたいな、障害者向けの性的支援施設でも
作ったのかしら、という考えに落ち着いた。

で、記事を読む。
ったく、なに考えてんだよ、
「エクスタシー会社」じゃなくて、「エコタクシー会社」じゃないか。
全然、違う。って読み間違った自分が悪いんですが。

まあ、そのような読み間違いをしてしまうのは、私が年中エクスタシーのことを考えて
頭のなかをまッピンク色にしているからではなくて、(別にそれでもいいけど)
ここ数週間、ずっとその手の資料を読んでいるからでした。

きっかけは、ある美人編集者のひとことでした。
「アセクシャルってしってますか?」
「知らない」
そういう話題については、結構ていねいにフォローしてきたつもりだったのに、
「アセクシャル」は初めて聞く言葉だった。まさにノーマーク。

で、さっそく、お勉強。
へえ、知らなかった。アセクシャルとは主にセックスがあまり好きでなく、あまりできないひとびとのことを指す。最近、アメリカで取り上げられるようになったそうだ。

確かに、好きなひとがいれば、嫌いなひとがいるのは道理である。
しかし、好きすぎるといろいろ問題を起こして大変だと思うけど、
嫌いなら、おとなしくしていればいいわけだから、なにが問題なんじゃ、と思ったけど
やはり、いろいろ悩みはあるらしい。

恋愛はできるけど、その手の行為は嫌い、ってことになるらしく、
それが原因で、恋がうまく行かなくなることがあるそうだ。
なるほど、ありそうだ。

そんなわけで、そのようなテーマの研究をしている。
最近、読んだのは、
「セックス依存症」パトリック・カーンズ著
「ありすぎる性欲、なさ過ぎる性欲」ウィリー・パッシーニ著
「世界20カ国でやっちゃった」渡辺ひろ乃著

この中で、(まだ全部読んでないけど)、「世界20カ国でやっちゃった」に
こんなことが書いてあった。
著者は、文字通りいろんな国でいろんな男性とセックスし、その感想を
割とクールにまとめているのだが、なかに「日本」という国も取り上げられている。

そして、著者いわく、日本の男のエロ妄想力は、世界のなかでもダントツであるらしい。
しかし、私もほんとにそう思う。
日本の男ほど、幻想に支配されているやつらは珍しい。
もはや、好きとかやりたいとかっていう自然な気持ちでなく、
すべてに物語が付いているような気がする。

知り合いにモデルとしか付き合えない男がいる。
すでに50代の半ばなのだが、いつも違うモデルを連れている。
仕事柄モデルを調達しやすい環境にいるのだが、とにかく「モデル」が好き。
そして、なるべく公の場所に同伴し、
「モデルと付き合っている俺」を見せびらかす。
もちろん、彼の妻も元モデル。

まあ、いいけどさあ。
この「モデル」の部分になにを入れても可。
女子高校生でも中学生でも小学生でも、キャバ嬢でも。

彼らは生身の女とつきあっていない。言葉と付き合っているんだよね。
だから、彼と付き合う女性もそれをすぐに理解する。
ほんとうにほしいのは私じゃないって。

でも、どうしてそんなことになっちゃったんだろう。
よく言われるのは、自分に自信がないから、他人が認めた価値あるものを
選ぶと。
センスに自信のないひとが、ブランドものの服をほしがるのと同じ?

そういう意味では、日本人ってブランド大好きだから
(まあ、私もそれなりには好きだけど)
女も同じなのかな。
やっぱり、自信がないから?
(10代の頃、もてなかったヤツがそうなる、という見方もあるけど
 そうなのかなあ。いわゆるトラウマですね)

このようなことを考え、調査しつつ、
次の小説では、純愛について書きたいと思う。

だって、純愛って究極のフェティシズムだと思うから。
気持ち悪いんだよ、心底。