今夜は、DVDで「エロティカ」(詳細 CーREVIEWへ)というドキュメンタリーを見る。
それで、自分とアダルトビデオのことを思い出した。
たくさん、見てきた。ある時期からはかなり意識的に見た。
興味と研究。
テレビ番組でAV女優さんのドキュメントを作ったこともあるし、
(この時、メーカーから段ボール一杯AVをいただいた)
古くはポルノ小説を書いていたし、
ずいぶん前だけど、知人のAVコレクターが、彼のコレクションを
やはり段ボール一杯くれたこともある。
男性がAVを見る基本は、見ている時間での快楽の追求でしょうけれども
女性の場合は、(と、全女性を巻き込むのは失礼)、私の場合は、
「なにを求められているか」を知るために主に見た。
簡単に言うと、どうしてほしがっているのか、男は、ということを
知るために見たんですね。
だって、そういうことを、誰も教えてくれないから。
勉強熱心な私は、なにに対しても態度は同じなわけです。
手に入るだけの資料を集め、研究、学習、そして、実践(?)と。
で、なにがわかったか。
そういうことを最近、よく振り返っている。
次に書く小説のテーマにしようと思っているので、
ここに全部書くわけにはいかないけど。
アダルトビデオ(ポルノグラフィ)をたくさん見ていると
幻想が蓄積される。
幻想は容易く、現実を追い越す。
というか、幻想に従って、現実をねじ曲げようとする。
けれども、
そもそも本当の現実つうものはないし、不確かなものを
幻想で固定しようとするのかもしれない。
恋愛は幻想の交換にすぎない。
と言い切ってみたいけど、
実際にはそうは思いきれない。
もう、多分ポルノグラフィは撮れないし、書けない。
恥かしいとかそういうことではなくて、
意識的に興奮させるものへの警戒がある。
考えがまとまらない。
続きはフィクションで。