山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

おかえり組

いつかこういうエピソードを書こうと思ってます。
アービングの小説に「熊を放つ」というのがありますが、これは動物園の熊を解放するお話です。

で、「犬を放つ」
日本では今、年間20万匹の犬が保健所などで安楽死させられています。
殆どは野犬でも問題犬でもなく、みんな、元・飼い犬です。

何となくかわいいからで飼い始めて、飼いきれなく捨てるひとがいるわけです。
許せない。
たいていの犯罪者には、嫌悪よりシンパシーを感じるほうですが、犬だけはだめ。
犬にひどいことするひとだけはだめ。

映画でも、たくさんのひとが死んだり殺されたりするものは
(たくさんありますねえ、デイアフターツモローとかタイタニックとか、死ぬ死ぬ。 
 ひとの「死」を商売にするのは嫌い、映画も小説も。)
基本的に嫌いだけど、でも、割と平静に見ることが出来ます。
けど、犬はだめ。犬がひどい目にあうのはだめだめ。

で、ですね、ある日、日本中の保健所のガス室を犬達が打ち破って逃げ出すんです。
彼らは3つの組に別れる。
「野性組」のやつらは、山を目指す。もう人間なんて信じないで、狼の時代に戻って、野生化することを目指す。
「復讐組」のやつらは、自分たちをこんな目に合わせた、飼い主、ペットショップなどなどを襲うんです。かみ殺す!
そして、もう一組が「おかえり」組です。
やつらは、自分たちがガス室送りにされことはなんかの間違いと信じてる。
だって、あんなに優しかった飼い主が、自分にこんなひどいことするなんてあり得ないもん。
これはなんかの間違い。
だから、走る。走って元の飼い主のところへ行って、
「帰って来たよ!」って言うために。

3組はいろんなところで出会ったり、すれちがったりしながら、自分たちの組の主張が正しいって言い合う(っていうか、ほえ合う)

もちろん、犬達が逃げ出したことはマスコミその他の連絡により、飼い主達は知っている。
脅えて家族で身を縮めている。
「お父さん、やっぱり、ペスを捨てなきゃよかったのに」と息子。
「だって、おまえが世話しないからじゃないか。お母さんだって最初はかわいいって言ってたくせに」とお父さん。
「お父さんはいつもそうやって誰かに責任をおしつけるのねえ。もともとお父さんが犬を飼うのは子供の教育にいいはずだ、私立の小学校の面接の時、犬飼ってますっていうと、なんだかお金持ちでありながら、命の教育もしている立派な家庭に見えるんじゃないかって言ったからでしょう」とお母さん。
「じゃあ、なぜ、僕は落ちたの」とまた、息子。
「それはおまえがお母さんに似て、バカだからだ」とお父さん。
「それは、あんたがお父さんに似てグズ男だからよ」とお母さん。

と、だいたい、犬を捨てるような家庭はこのようにどうしようもない人たちだと想像されますけど、最後の責任のなすりつけ合いをしているんですね。
そこへ、
「あ、ペス!」と息子。
「キャー、来たわよ」と母親。
「どうしよう」と父親。
「撃ち殺してよ、おやじ」と息子。
「ほんとにいいのか。おまえの犬だぞ」と父親。少しはびびっているんだ。
「大丈夫だよ、一度死んでも、また、甦るんでしょう?」と息子。
「そ、そうよ」と母親。
「一度死んでも甦って戻ってきて、そん時には記憶喪失になってるはずだから、僕らに殺されたことも忘れてるよ、ペスは」と息子。
「ほうほう、おまえは頭がいいなあ」と父親。
『将来は小説家にしましょう」と母親。
そんなわけで、父親は、この時に備えて借りてきた散弾銃をかまえるのだった。

ペスはそんなこと、ちぃーっとも想像しないで、みんなに
「おかえり」って言ってもらって抱きしめてもらうことだけ考えて
何キロも走ってきたのに。

かわいそうなペス。
ペスの胴体にお父さんの放った何発目かの弾が当たって、ペスは即死する。
即死だから、自分に何が起こったのか、「おかえり」の代わりに自分を待っていたのが、
飛んできた弾丸だったことすら理解しないまま。

そして、ペスは目を閉じる。
これはなんかの間違いだよねって。
ペスは決して飼い主を恨まない。
どんなに最低でもね。

保健所を逃げ出した犬達の9割が実は「おかえり組」だった。
攻撃したり、野性を選んだのはわずかだ。
だって、犬ってそういう生き物だからね。

さよなら、ペス。

おわり。