山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

救われたいのは、自分なのか。

ちょっとさぼっているうちに、4月になってしまいました。

新学期ですね。

自分、学生じゃないし、学生である子供もいませんが…。

気分だけでも晴れ晴れしく…。

とはいえ、ここ数日は迷いに迷っておりました。

被災犬の一時預かりをしようと思っていたら、チェックしていたサイトでの募集が終了してしまい、いろいろ探したのですが、的確なところが見つからず…。

そうなれば、非常時でなくても、保健所から引き取られ、里親を待っている犬たちが関東近県にもたくさんいるのだから、そいつらを救うことだって、同じじゃないか…と思い直して探し始めたり…

それなら、いっそ、里親として新しい犬を迎えよう…と思ったり…いやいや、5月には2週間の海外ロケがあるし、7月から三ヶ月くらいは海外へ行こうとしている身、安易に犬を引き受けては行けないのではないか…と踏みとどまったり…

しかし、犬のいない生活はさみしすぎる…と千々に心は乱れました。

自分は犬が好きですので、犬が悲しい目にあうのが嫌いです。想像するだけで、胸が痛みます。また、犬のことを思いやって、自分が犠牲になろうとする飼い主の話も、聞くと涙が出ます。

犬がいるので避難所に入れずに、車で生活する…とか、原発近くで置き去りにされた犬のニュースなどを見るといたたまれなくなります。

しかし、同時にそういう自分をある程度客観的に見ようとも思っています。

犬が好きで、犬を救いたいという思いは、まったく、恣意的なものです。いってみれば、私の「好み」です。

地球は人間だけのものじゃないと思っていますが、人間の食料になる牛、豚、鶏などは、どうなんだ。百歩譲って、猫はどうする…ってことになります。

自分が犬のいのちを特別に大事に思うことを過大評価しちゃいけない…と思っています。それはあくまで、私の好みであって、そうじゃないひともいるし、別の生き物に価値を置くひとだっているわけです。

私の好みが、もし、ゴキブリだったら、どうでしょう。それを特別愛おしく思い、殆どのひとが殺傷するのを涙してみる。そして、自宅で、たくさんのゴキブリを飼う…。

ゴキブリは極端な例ですし、犬は実際、すばらしい生き物だし、多くのひとがその魅力を認めるものであります。

けど、あくまで、好みの問題であること…ここを忘れないようにしないと…と自戒しております。

とはいえ、犬を救おうとしている方々のブログなどを読むと頭が下がります。実際に、行動している方たちは立派です。

被災地に車で出かけ、放浪する犬を保護したり、エサをやってきたり…という報告を読むと、泣けます。自分がエサをもらった犬のような気持ちになる。

(…いえ、そんな被災地の犬の気持ちがおまえにわかるのか…と言われたらわかりません、すみません)

このように、犬をめぐって、考えているうちにかなりの時間が過ぎてしまいました。結局、なにもしていません。
迷っただけです。一頭も救えてません。すみません。

しかし、犬を預かる、犬を飼うことは責任をともなうので、一時の感情で引き受けてはいけないと思いまして。

しかし、今は非常時、とりあえず、救えるものは救うべき…という思いもありますが。

と、こんなふうにまとまらないんです。

犬を救いたいのではなく、犬に来てもらって、自分が安心して救われたいのでした。すみません。