山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

愛という商品

今日はバレンタインデーだった。
アメリカでバレンタインに集団自殺しようとして未遂に終わり、逮捕されたひとがいた。
けど、ある意味、バレンタインほど、集団自殺にうってつけの日はないように思う。

もはや、「愛」は立派な商品だ。
「愛こそ全て」と歌ったビートルズは億万長者になったし、世界中で(って言った時、世界とアメリカとヨーロッパと日本くらいなんだけど)「愛」ほど反復使用にたえる、売れ筋商品はちょっとないんじゃないか。

「愛」はしっかり資本主義とくっついている。
この世の商品のほとんどは「愛」がらみであるといってもいい。
「愛」をテーマにした小説や映画はもとより、「愛」関連商品=豪華なレストラン、リゾート、すてきな住まい、車、学校、などなど、たいていのものは「愛」ありきで始まり、あるいは「愛」を求めて、その達成のために、商品を買わされるしくみになっている。

「愛」のない暮らしは真っ暗でなにかが失われている。
失われているように思わされる。よって強迫的に恋愛を求め、異性を(ゲイのひとは同性)求め続ける。その結果としてカップルや家族が存在する。

けどさ。
愛なんてなくても別にどってことないじゃん、と思ったりする。
もう、おなかいっぱい。これ以上、売り付けないでよ、と思う。

だから、愛と資本主義がぴったりくっついて見えるバレンタインに自殺したくなる若者がいるのはよくわかる。
からくりは見えてしまっているし、商品みたいな愛はほしくない、ってことなんじゃないかしら。
(どこかにほんとの愛があって、それをまだ見つけられないだけ、だなんて19世紀みたいなことは全く思わない)

近年ヒットした純愛映画を見て、知り合いの編集者がいった。
「安い涙」
資本主義がゆきわたり、「愛」も「涙」もお手ごろで安価になりました。
そんなもん、ほしくない。
死にたくなる気持ち、よくわかる。