山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

恋愛体質という名の病。

計画では、午後から美容院に行って、髪を切って、それから監督協会の集まりに行くつもりでした。まず、美容院に行くのが、面倒だなあってところから始まった。別に、行かなくてもいいじゃん・・そう思ってやめた。で、家でだらだらしてたら、日が暮れてしまって、ぐったりして、結局一日中家にいた。疲れてたのね。予定はなにひとつ完遂されなかった。

それで、途中になっていた、ミッシェル・ウエルベクの「素粒子」を最後まで読む。そして、また、衝撃を受ける。ウエルベクが描こうとしたのは、高度資本主義社会を支えるのは、個人の欲望を無制限に肯定し、あおりたてるメカニズムだ。「アメリカに起源を持つセックス享受型大衆文化」の全般化、「誘惑の市場」の拡張。結果、「夢破れ、心のすさんだ四十男」となってなお、エロチックな快楽を諦めきれず、女体を求めて放浪する、責めさいなまれた者の滑稽な苦悶が描かれている。(以上、解説から抜粋)。

あーそうなのか、そうなのよね。これは、ヨーロッパに限ったことではなく、日本でもまったく同じだと思う。快楽を求めることをやめられなくなっているのは、同じだよね。それって中年男だけじゃなく、女性も同じ。恋愛体質とか、恋愛至上主義とか呼び変えてるけど、結局それって、快楽つうか、性愛でしょうが。いつまでも諦めきれずに、みんな「恋バナ」とかいって、発情中なのであった。

しかし、それって、ウエルベクが言うとおり、かなり実際はきついことなのだ。無制限に快楽を追求すると、結局、いつまでも欲求不満状態になるのではないかしら。おっと、こう書くと日頃、全否定している、一夫一婦制支持みたいだけど、そうではなくて、他に道はないのだろうかってことでした。

自分もまったく、同じことをいつも考えてる。ただの恋愛小説にはほとんど興味がない。恋愛を相対化、客体化できていないで、そのなかで「誰が好きだ~」とか言っててもしようがないでしょー。恋愛=きれいごとに描くのが嫌いだ。性愛の現れ方の流行のひとつにすぎないのに。あたかも、かけがえのない美しいもののように描くのが、ものすごく嫌い。なので、さっこんのベタ恋愛小説、どれだけ、焼却炉に投げ込んだことか。

と、急にあつくなったけど、そこらへんは、さすがフランス文学はクールですよね。ちゃんとさ、ウエルベクがベストセラーになるんだもん。はい。そんなわけで、家でおとなしくて、ウエルベクにやられてました。
あー自分もこういうの書きたいよー。けど、なかなかそういうテーマだと、相手にしてもらえないんですよね、日本の市場だとね。みんな、大衆快楽主義の病いにかかってますから。売れるものしかみたくないですから。と愚痴ってないでね。

深夜に1時間犬と散歩しました。