山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

つらいのはみな同じ。

雨のなか、はるばる吉祥寺まで出かけて、本谷有希子さんの舞台見てきました。同時代でもっとも先端を突っ走っている本谷さんだけに、ものすご~く期待して行きましたけれども、やや、……でした。

それにしても、主演の高橋一生さんは芝居うまいなあ。妄想の世界に生きる青年をかなりリアルに演じていました。彼を見るだけでもいいかもしれない。

ネットで知り合い、メールを交換しながら、愛なのか幻想なのかとにかく強い結びつきをもった、引きこもり青年と、謎の少女ユクの物語を中心に、書けなくなった女性作家、その夫で編集者、さらにその愛人で、新人作家などが入り乱れ、自殺祈願のひとたちと妄想青年とが同居するという、まことに現代的、意欲的、挑戦的な内容でした。(テーマが消化しきれてない感があった)。

しかしながら、印象的なセリフもいくつか。
書けなくなった作家が、
「もう、ネタないんです。フィクション書くのは大変なんです」と叫び、
「私なんか、これまで通り、恋愛、恋愛、恋愛小説でも書いてりゃいいんですよね」と開き直り、
「私の小説なんか、携帯小説と同じですよ」とキレる。

それに対して、編集者で愛人の男は、「ぼくがなんとかするから・・これまで通り、教えるから・・あ、担当変わるんだった。でも、大丈夫、次の担当も「男」だし、前はバイク雑誌やってたひとだから、いいアドバイスできると思うよ」となだめる。あー、いずこも同じ秋の夕暮れ。

むかしは文学の編集者ってきっと、文芸畑ひとすじだったのかもしれないけど、今やしゃっふる状態だし。とある編集者がちょっと自嘲気味に言ってた。その部署はある種の本でヒットを飛ばしたので、「今ならなんでもできる状態」なんだけど、「じゃあ、小説とかも出せるんですか?」と尋ねたら、「たぶん、できるけど、残念ながら、自分、小説とかほとんと読んだことないし、アドバイスなんかできないもん」と笑っていた。まあ、この方はしごく正直なんだけど、今やこのような状況は出版界に限ったものではない。

テレビや映画の世界でも、昨日までまったくべつの業種だったひとが、「プロデューサー」になってたりする。先日、知り合った医師は「映画監督やらないかって言われてる」と仰ってた。はい。まあ、そういうことで。

そんなわけで、ところどころ、胸に響くセリフはありました。関係ないけど、帰り道、とある焼鳥屋に入った。そしたらその店、ものすごくやる気ない感じ。カウンターは、汚れた食器が出しっぱなし、まな板には、仕込み途中の鶏肉が放置され、なんども「こんばんは」と言わなければ、店主が出てこなかった。入ってしまった以上、仕方なくどこかに座ろうとしたけど、どこも片付いていなくて、座ることができない。
「どこに座ったらいいんですか?」「あーなんかどっか空いてるところに」「んなこと言ったってきれいなテーブルないでしょー」と言って、店を出た。店主も「はは、そうですねー」って笑ってた。いいのか、そんな店が存在して。

で、まあ、べつの寿司屋に入りました。ここはかなり美味しくて正解だった。勇気だして、焼鳥屋を出てよかった。しかし、あまりにやる気のない店で面白かったので、寿司屋のあと、見に行った。そしたら、一人だけ客がいて、なんとか営業してた。おそるべし、吉祥寺。

そんな雨の夜。