山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

私は広い意味で恋をしている。

糸井重里さんの「ほほ日刊イトイ新聞」を読んでいます。
このなかに「日本人の思い」というコーナーがあって、いろんなアンケートをしています。
なかで、「私は広い意味で恋をしている?」という質問があって、「はい」と答えた人は8割近くいました。

へえ、と思いました。
もちろん、「ほぼ日」を読んでいるようなひとはやっぱり、まだ特殊だから、そのまま「日本人全般」と言い切るのは無理があるとしても、
(それでもこのサイトは一日60万人が来るわけだから、日本人全般といってもいいのかなあ)
そんなに多くのひとは、「広い意味で恋をしているのか」かと。

この場合、「広い意味」ってところがポイントですよね。
長く一緒にいるけど、夫(妻)にまだ恋している、とか、対象は異性じゃなくてもなんでもありで、まあ、いろいろ。
普通、それは「恋」の範疇にいれないんじゃないの?ってことまで入ってくる。

「ひとは自分は恋をしている」と思うのが好きなのだ、と発見しました。
いくつになってもね。

あとね、「広い意味」という前提。
「広い意味で美人」「広い意味でいいひと」「広い意味でグルメ」など「広い意味」をつけると、わりとどんなことも肯定的にとらえることができそう。

まあ、私も広い意味では幸せだと言えそうですけど、けれども、どちらかというと、自分はすべてを「狭い意味でどうなの?」と考える傾向にあると気づきました。

広い意味で捉えるのって優しいけど、ずるいような気がする。
「あなたのことは広い意味で好きだけど・・」みたいな。
じゃ、「狭い意味じゃきらいじゃん!」って言ってるよな。

しかし、多分、現代のようないろいろ厳しい時代では、いちいち「狭い意味」でつきつめていくと、苦しくなってみんなが脱落していくので、そんなことにならないように出てきたのが「広い意味で」という捉え方なのでしょうねえ。

じゃ、いいのか、広い意味で。
小説なども「広い意味で小説」という捉え方が増えたと思います。
「小説とは、19世紀のフランスで生まれた文学の一形態であって・・」なんて言ってたら
「うぜえ」とか言われてしまうのですね。
そして、なにより、「売れない」し。

結局、すべては資本主義に収斂していく?
「広い意味」って多くのひとを取り込める可能性を持った言葉だから。
それは多くの人にシンパシーを呼ぶ=多くの顧客を集めるってことになるのかな。

けど、「広い意味では幸せ」な私ですが、どうも、「狭い意味では結構不幸」だな。
その「狭い意味」の部分の取りこぼしについて、自分はていねいに扱っていきたいな、と
思うのでした。

(蛇足ですが、「私は広い意味で恋している」っていう小説のタイトルにしたらひっぱりがあるのかなあ~などとも、考えた。この場合も、狭い意味では「セコイ」ってことになるけど、
広い意味なら、「いいじゃん、それで」って許してもらえるよね。

ものすごく広い意味なら、わたしは仕事もできるし、美人だし、いいひとだ。オホホ)