ふらっと「モーターサイクルダイアリー」を見に行く。
もうすぐ終わっちゃうっていうし。
始まりはとにかくかっこいい。
南米の乾いた空気が伝わってくるよう。
ゲバラを演じたガエル・ガルシア・ベルナルのかっこいいことと言ったら。
ハンサムなんだけど、誠実さに溢れていて、ストレートな青年の美しさを感じる。
日頃、ヒュー・グラント的な悪い男ハンサム
(資本主義まみれのちょっと壊れた奴)に弱い私も、くらっときた。
ちびるぞ、ガルシア。
南米の男は熱くていい。
移住を考えるよっかな。
と、ふざけたことばかり考えていたわけではなく、
そうだ、かつては革命ってものがあり、チェ・ゲバラはキューバ革命を起こしたひとだったんだ、なんてことを思い出す。
今は夢だったことのわかった、共産主義。
今でもキューバは社会主義国家だよね。
いや、そういう政治的な映画ではなかったし、
私が言いたいことも、政治的なことではない。
ゲバラはさ、南米を親友と旅する途中で、いろんなひとに出会う。
ハンセン氏病の隔離施設の医師や患者、共産主義者の夫婦、土地をなくしたインカの民。
そういう人たちと出会って、「なんかおかしい」と気づいて行く。
正義感あふれる青年らしさで、社会のゆがみを発見していくわけだ。
映画は、ゲバラが旅の途中で親友と別れるところで終わる。
ゲバラが革命家になっていく様子やその後の人生については語られていない。
けれども、この旅での経験がのちのゲバラをつくっていく。
(本人も、日記にそう記している)
彼が当時考えたのは、「ひとのためになる」「困っている人、差別されている人を救う」などなどである。
はっとした。
すっかり私のなかから抜け落ちてしまった考えだったから。
そういえば、20代の初めあたりまでは、
「自分はこうなりたい」とか「成功したい」とか「少しでもいい目に合いたい」なんて
あまり考えてなかった。
こんな私ですら、世の中のためになることがしたいなあ、とか、間違っていることが治ったらいいなあ、なんて考えていたのだ。
ものすごくシンプルな正義感を持っていたのだ。
仕事をするようになり、すっかり社会の闇に飲まれてしまって、
青白い正義感振り回していたら、仕事なんでできないと思い知り、
自分のことばかり考えるようになった。
他人様の心配している余裕なんかなかったのだ。
けどさあ、かつてはゲバラみたいな若者が世界中に溢れていたんだよね、少しでも世の中を
良くしようっとひとびとが。
忘れていた。
自分のことばかり考え、自分がいい目にあう方法ばかり探していた。
特にここ最近。
それを激しく反省した。
そして、反省してみると、楽な気持ちになれることを発見。
自分をのばすことばかり考えるのは、しんどいものである。
それを一旦休み、ひとの幸せまで考えてみるというのは、精神の健康にもよい。
映画館から出て、渋谷の街を歩くと、いつもは強迫的に見える広告や道行くおねえちゃん、お兄ちゃんたちに対して、寛容な気持ちでいられた。
自分を忘れて、社会のことを考えるっていうのは、
実は、とても健康的なことなのかもしれない。
だって、今、みんな、自分中毒でしょ。
どこまでいっても自分しかいない自分ワールドって空気悪い。
ゲバラは深呼吸のような気分をくれた。