山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

私は殺さない。

韓国映画「サマリア」を見る。
韓国の女子高校生の援助交際がテーマである。

う~ん。
前半は、ふたりの少女のエンコーぶりが描かれる。
けれども、そもそもエンコーを始める理由が希薄すぎると思った。
それに、高校一年という設定だけど、あまりに幼過ぎ、あまりに思慮なさすぎで、韓国ではそうなのかもしれないけど、かなりしらけた。
(こんなガキいねえヨ)

が、後半からは主人公が変わり、一気にテーマに切り込むように見えた。
日本のエンコーものもそうだけど、たいてい、女子高生ばかり追いかけ、買ってるおやじはほとんど描かれない。
それは、(まあ、何度も言い過ぎて、脱力するけど)制作サイドがおやじなので、知り尽くしたおやじを描くより、新鮮でかわいい女子高校生を描く方が、個人的な好みを満足させることができ、なおかつ、観客もそうであろうと考えているからである。
まあ、わかりやすい堕落つうやつですね。
「若いねえちゃんだしとけば、儲かるじゃねえか」っておやじは想像するわけだ。ヨダレたらしてね。(そんなおやじ山ほど見てきた)

が、この映画はそれを踏み留まっていた。どころか、そんなおやじにしっかり天罰を与えているのだった。それは気持ちのすくものがあった。
そして、最後への持って行き方も、うならせるところがあった。
まだ、見ていない方のために、詳細は、自分のHPのC-REVIEWにいずれ書くことにして、凡庸な映画や小説がこれまで何度も、使ってきた結末を一度笑ってみせてから、本題に入るわけである。
それはなかなか、出色だった。

つまり、「殺さない」ってこと。
私も、今回、10年前に援助交際をしていた女子高校生の10年後の小説を書いた。私が絶対いいたかったのは、「私は殺さない」ということ。
物語の姿を借りて、ヒトを殺すのは絶対にいやだ。
罪のないひとをいたずらに死なせてみて、悲しみを誘うなんて最低だ。
「死」はひとさまを惹き付ける、わかりやすいテーマだけど、これを使った時から物語は堕落すると思う。「死」は簡単に手に入るドラマチックな展開である。小学生だって書けるだろう。
(最近の子は、「死んでもひとは甦る」と信じているらしいし)

そんなわけで、「サマリア」は真摯な映画だった。