山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

今日の悲しみ 遥かな悲しみ

なんというか。
5月1日に、父が倒れ、いろいろあったけど、7日の夜に亡くなってしまった。
ほんの10日前に一緒に食事をしたばかりだったし、倒れる前日まで車を運転していたし、
東北にさくらを見に出かけたりしていたので、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

が、考えようによっては幸福な逝き方であったと思う。朝、自分のベッドで目覚め、母と少し話をしたあと、そのまま、意識を失ったようだ。
ICUに運ばれたが、その時には手のほどこしようがなかった。

それでも、一縷の望みをたくし、母や姉妹とともに病院につめた。初めの数日はきつかった。毎日のように、「今夜がヤマです」といわれ、ICUの待ち合い室で待機した。
その度にもちなおし、一旦、家に戻る。すると、数時間して、病院から呼び出しがくる。タクシーにのってかけつけると、また持ち直す。この繰り返しで、精神的にはかなりきつかった。

が、このようにして、一週間が過ぎると、だんだん覚悟のようなものが生まれてくる。悲しみに対する耐性のようなもの、あるいは悲しみを受け入れる準備ができてくる。
その意味では、父に感謝している。なにがなんだかわからないままに、その日を迎えた、というより、徐々に心の準備が整って行った。

そして、黄金のおやすみの終わりとともに、とくに苦しむこともなく、逝ってしまった。
なんとなく、思う。こういうときは目の前の悲しみに溺れるものだ。その個人が失われたことをひたすら、嘆く。あんなことがあった、こんなことをした・・・。

けど。
ひとはずっとずっと昔から何度も何度も亡くなってきた。今、目の前にある悲しみは、たくさんのひとが経験してきた悲しみと同じなんだ。自分の悲しみを深めていくのもいいけど、
こういう時は、遥かな悲しみに思いをはせたいと思う。気が遠くなるほど、たくさんのひとが繰り返してきたこと。流した涙。それを思うと、なんだか、安らぐ。

(葬儀は近親者ですませました。)