山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

わたしinペットロス

正直に言えば、まだ、ミニをなくした悲しみから全然抜け出せていない。

ペットロスという症状でしょうか。

忙しかった仕事から離れてみたら、さらに悲しみが襲ってきてしまった。家にいると、これまでいたはずのミニがいないことがさびしくてしかたない。ムリとわかっていても、名前を呼んでみたりしている。そして、どっと悲しみに襲われる。

そんなことばかりをしていてもしかたないとは思いつつ、断ち切ることはできない。頭の片隅で、自分自身のふがいなさをミニの不在にかこつけて、悲しむことで、いろんなことから逃げているだけだ、おまえは!とエヴァンゲリオンなみに自分を責めてみるけれど、責めたところで改善できるわけじゃない。

それにいったい、なにから逃げているというのか。そして、もう、逃げていいじゃん…とも思う。もう、充分だよと。

ペットロスカウンセリングも少し受けたので、悲しいときは泣いていいし、悲しんでいることを否定しないでいいと言われたので、安心して(?)悲しんでいるよ。ムリして悲しむのをやめたりするとあとでもっとひどい症状に襲われるというのだ。

そんなわけで、今日は一日悲しかった。

ビデオで「キッチン・トト」という1950年代が舞台のケニアがイギリスから独立する前の、キッチン・トト(=白人の家庭で台所の仕事をする奴隷)の少年を描いた秀作を見た。

テロ行為に反対する黒人の牧師が殺され、残された少年は、白人の警察署長の家で働き始める。この署長や同じ黒人の使用人たちと仲良くなりながら、なんとか生きていく少年だけど、テロ集団が再びやって来て…不幸の連鎖が起こっていく。

最後にテロップが流れる。62年にケニアが独立するまでに、白人は80名くらい亡くなり、黒人は一万四千人(だったと思う)くらい亡くなったと…。

ほんの50年前に起こった出来事。それからだって、決して平坦な道じゃないはずだ。アフリカの現状を考えたら、一頭の幸せな家庭犬に過剰に思い入れするわたしは、先進国の平和ボケしたおめでたいひとだと思う。

でも、悲しいんだよ。

それで、今日は、ミニのかかった「組織球肉腫」と「血管肉腫」のことを調べて、学習していた。そのあと、里親募集のページをいろいろ読んだ。

日本では何十万頭の犬が殺処分されている…という事実は知っていたけど、結局のところ、自分はなにもせず、嘆いてみせるだけであった。(本とかテレビで嘆いてみせてきたわけだ)。

でも、一方で、そういった犬たちを救いだし、新たな飼い主を捜す運動をしているひとたちが結構いるってことを知った。このブログでも里親募集は載せているけど、いろいろあるんだなあ。

その元であるところの、動物保護センターへ行き、いろんな団体を知った。

ラブラドールのみ保護していたり、チワワのみとかいろいろあるってことをしった。ゴールデンレトリーバーのみってところはなかった。保護犬のなかにも、ゴールデンはわりと少ない。なぜかな?やっぱり、飼いやすいから飼育放棄される機会が少ないのだろうか。

(いやいや、たくさんいますよ。なに、間抜けなこと言ってるんですか、と思った方いたら失礼…)。

しかし、まだ、新しい犬を迎えるのは、あんまりだと思うし、でも、一方で、ミニの不在をどうすることもできない。ボランティアとして、里親募集の犬を一時預かりもできるみたいだけど、一時預かったら、情が移って、他に託すことなんて、きっとできないだろう。自分の場合は。

なんたって、メランコリー親和型といって、なつきやすい性格ですからね。ほんとにもう。

それで、やっぱり、近い将来、犬を暮らすことになると思う。もう少し、喪に服して、ミニへの気持ちが整理できたあとに。自分は弱いので、犬がいないとやっていける自信がないのだ。

その場合、行く場を失った里親募集から探すか、ブリーダーなどから購入するかで、悩んでいる。やっぱり、行き場のないコを引き取ることで、少しでも、犬たちのために役立つようにすべきじゃないか。でも、一方で、子犬のころから育てたい…という欲望もある。

どっちにしろ、レトリーバー系の犬にはしようと思う。どうにもこうにも。

そんなことをやっていて、一日が終わってしまった。すみません、世界中の紛争地帯で苦しんでいる方々、闘病中の方々。もっともっとたいへんな目にあっている方々。

おまえなんか、幸せで暢気で、お気楽だよ…とお笑いください。