山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

飛ぶように売れるもの

ゲームでも服でも映画でも本でも一時期、飛ぶように売れるものっていうのがある。
その時には、それがとても魅力的でよきものに見えて、熱に浮かされたように、それを手に入れたくなる。

で、手に入れて実際味わってみる。多くのひとが 思うほど、手に入れてよかったと思えないこともあるし、多くのひとが認めるように、それに酔うことができる場合もある。
どちらの場合も「飛ぶように売れる」からこそ、「売れる」とも言える。

しかし、その「熱」の時期が終わると、それがなにかものすごく間の抜けた、つまらないものに見えてきたりする。なまじっか夢中になったぶんだけ、欲望の残りかすのように思えて、恥かしいもののように映る。
流行りものにはそういう宿命がある。消費されつくす、ってことかしら。

みんながいっせいに夢中になったものではなく、自分がこっそり好んで選んだものの場合は、時期が過ぎても案外、思い出の品として残り、ときどき取り出しては、昔を懐しんだりもできる。

なんで、旬の過ぎた「流行りもの」は恥かしいんだろうか。

関係ないけど、最近のもうひとつの疑問は、
「ハンサムでいいひとは、ちょっとバカに見える」ということ。

ハンサムって悪い人だとその美貌が光るように思えるけど、いいひとでハンサムってバカに見えて、魅力半減しませんか。

この謎を説いて、「なぜ、ハンサムないいひとは、ちょっとバカにみえるのか」ってタイトルで新書でどうかしら。似たようなニュアンスの本が売れているでしょう。
「さおだけやさんはなぜつぶれないのか」みたいな。
あれ、全然にてないし、中身に重なるところもきっとないのでした。
おそまつ。