昨日、見た、映画「クローサー」についてもう少し。
この映画には、4人の男女が出てくる。
1)女性のカメラマン 30代半ば バツイチ
2)男性の医者 40歳くらい 独身
3)男性の小説家 30代半ば 独身
4)女性のストリッパー20代前半 独身
で、この4人がお互いを取り合いっこするっていうのが、おおまかなストーリーだ。
(ほんと大まかだけど)
最初は、ストリッパーと小説家が出会う。すぐに恋におちる。
次に、小説家は女性のカメラマンに出会う。お互いひかれるけど、小説家にはストリッパーの恋人がいるから、この恋は実らない。
次に女性のカメラマンが医者と出会う。ふたりともシングルなので、恋が始まる。
このまま大人しくお互いの相手と愛を育んでいればいいものを、それだけではすまないところから物語が始まる。
だいたい、運命のひとがいて、そのひとと出会えたら、他には誰もいりません!といえたら、この世はずいぶん、すっきり楽なのではないだろうか。
そういう恋愛もあるにはあるだろう。そういう愛情関係にとって、敵とは、相手の命を奪う病気だったり(白血病や癌ですね)、戦争や天災(船が沈んだり、交通事故にあったり)だったりなので、それさえなければ、めでたし、めでたし、なのだ。愛を邪魔するのは、
ふたりの外の世界なのだ。
敵はすべて家庭の外にあり、という考え方は楽と言えば楽である。何が起こっても、外を憎めばいいんだもんね。
しかし、ヒトはすでに発見してしまっているのだ。愛を邪魔するのは、自分の心のなかにこそあるということを。敵は外にいるんじゃなくて、自分自身が敵そのものなんですね。
で、まあ、その内部の敵とどうやっておりあっていくか、というのが、21世紀の大人の恋愛の本当のテーマだと思ったりするのである。生涯ひとりだけのひとが見つかった人はこの際、関係ない。そりゃよござんしたねえ、と芸者の置き屋のオババみたいな感想を言うだけである。
でもって、心の内部の敵(っていうか、敵なのか、それはそもそも)を発見してしまった4人の男女の物語なわけである。誰かを好きだ、という気持ちがいかに信用ならなくて、いかに壊れやすいかを、小気味よく見せてくれる。そして、恋愛やら愛などというものが、決して歌い上げられるようなキレイなものじゃないことも教えてくれる。
まあ、だからってどうすんのさ、と言われてもそれまでなんですけど、やっぱり真実に近いものをみた心地良さはあるんだと思う。
ジュリアロバーツ演じるカメラマンの気持ちが一番わからなかったな。往生際の悪いやつという気がした。しかし、一番オーソドックスな生き方かもしれない。
すでに標準がわかんないんですよね。とほほ。