山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

時がつくるもの

今日は、昨日書いたとおり、家事番組の収録だった。
お馴染みのスタッフ、お馴染みの出演者なので、睡眠時間三時間で現場に行ったけど、2時間くらいまきで終わった。

最近、しみじみ、自分はテレビ番組を作って生きてきたのだなと思うようになった。かれこれ20年になるのだから、当然といえば当然だけど、こんなふうに実感できるようになったのは、「小説」という異文化に片足をつっこんだからだと思う。

小説の世界では、まだ赤子のような状態なので、「書くこと」はもちろんながら、出版業界のしきたり、出版業界のひとたちの体温に戸惑うこともある。こちらの常識はあちらの非常識だったりする。

すると、勝手知ったるテレビ業界がとても懐しく、居心地のよい場所に思えるから不思議だ。故郷とは離れてから思うものというけれど、まさにそんな感じ。

私にとって、テレビの仕事は、やっぱり故郷である。たくさんの知り合いがいて、多少の融通がきき、ひとつひとつは大変でも、たいていの番組なら作ることはそんなに怖くない。ある程度の予測がたつ。困った時の相談相手もいるし。

しみじみ、これが私の仕事なんだ、と思える。そして、いろいろあったにせよ、20年の歳月を映像演出ひと筋できたことは、決して無駄ではなかったと思うのだ。私は有名監督ではないし、ヒット番組をたくさん手掛けたわけでもない。

でもさ、やっぱり、時の積み重ね以外ではあり得ないものが、知らずに身についているように思う。これまでは、自分のことを「ちんぴらTVディレクター」と呼んで、ふざけてきたけど、それはないよな。もっと素直に自分の足跡を認めてやろうという気持ちがある。

もちろん、これからは小説家としての実績を積んでいきたいけど、テレビで培ったものが、無駄どころかきっと、自分を救ってくれるだろう。
(っていうのは、実は、信頼する小説の編集者に言われたからなんだけどね、テヘ)

そんなわけで、雨の水曜日、ちょっと過去を振り返り、そんなに悪いことばかりじゃなかったと思うのでした。

いやしかし、小説、頑張らねば。
まだまだ、新しい水で泳ぐのはツライ。