山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ドキュメンタリー、うー。

犬の番組の放送が終わって、一息ついたところ。

で、しみじみ思うのは、「作りながらしかわからない」ということでした。

番組とか映画とか小説とか、最初は企画やプランみたいなものがあり、そこでテーマを絞ったり、何がいいたいのか考えたりするのだけれど、結局のところ、作っていく過程でしか、わからないんだ、ってことをあらためて思いました。

本日、サラ・ポーリーの「物語る私たち」というドキュメンタリー映画を見て、まさにそう思った。

小説って、作家が考えた道筋を描くもの、という見方があるけど、映画も結局のところ、同じなのでは…と思った。

監督の考えた道筋なんだなー。

それを観客はたどることになる。

だから、企画段階でわかることなんてわずかで、撮る、編集するうちに何かが浮かび上がってくるのではないかしら。

なので、机上でプランを練って、あーだ、こーだやっていても、意味がないよね。

とりあえず、撮る。とりあえず、つなぐ、みたいなことの繰り返しで、なにかが見えたり見えなかったりするのではないかしら。

正直、犬については、3年間、「気になった」と思ったらロケすることにしてきたんだけど、その結果、厖大な素材がたまり、どうまとめていいかわからなくなっていた。

テレビを長年やって来て、番組にするには、企画書を書いて、プレゼンして、テレビ局からゴーをもらって、初めてロケに行ける。

けど、それがもう、嫌になったのだった。

なんで、いちいち、企画書書いて、どういう物語になるか、説明しなくちゃいけないのか。

そんなもん、撮ってみないとわからんだろーが。

ずっとそう思ってきたけど、なかなか実行できなかった。ひとつはお金だ。企画が通れば、制作費がでて、
それでカメラマンを雇ったり、ロケに出かける費用ができる。それと、できた暁に公開する(放送する)場所が確保できる。

けどさ。

それももう、いいやと思ったのだ。

お金は自腹でなんとかする。できあがったら、どこかで上映したらいい。テレビじゃなくていいし、映画館がダメなら、自主上映とかでいいじゃないか、そう思ったのだった。

自主映画の監督なら、普通にやっていることだろうけど、20年以上、テレビ業界で生きてきた自分にとっては、結構なチャレンジだった。

でもまあ、小説も書いたりしてきたから、ある意味、度胸もあって、「撮ればなんとかなる」という漠然として自信はあったのだ。

で、なんで、テレビで犬を放送したんだよ!と突っ込まれると、はあ、ってことなんですが、まあ、取りあえずつないでみたら、「テレビでもいけるじゃん?」という気持ちになり、これについては、とにかく、犬がひどい目にあうのはいやだ、それでもって、犬猫を助けているひとたちが、本当にすごくて、かっこいいから、ちゃんと伝えないとダメだ、なるべく多くの人へ。

そう思って、テレビ番組にすることにしたのだった。

なにより、犬の命が優先と思った。

自分は戦場カメラマンとか真のジャーナリストとかになれない。

初めて、千葉の愛護センターに行ったとき、取材するより、一匹でも多くもらうべきだと思った。

そっちが優先。すぐに私が飼える枠(うちは、犬2頭までと決まっている)はうまったので、その後は取材に専念しましたが。

それで、今は、これから犬の映画をどうしようかと迷っています。

テレビはテレビの目線でひとつ作ったから、同じ形で単にロングバージョンやってもしょうがない気がして。

なので、今は考え中です。

一方で、休みたい!という気持ちも強まっているのでした。

YAMADA、HA!

です。今は。