山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ネットの静けさ

自分の暮らす国の未来がかかっているんだからとはわかっていても、選挙の話題はもううんざり。女というだけでひとくくりにして、マドンナなんて呼んでしまうセンスもいやだし、勝った負けたといつまでもうるさいし。新聞にはもっともらしい写真が並ぶ。笑顔の小泉さんと傷心の岡田さん。その差が歴然とするような写真を選んでいるのはよくわかる。私だってテレビ番組つくりで同じことをやってる。やってきた。

けど、ちょっと辟易です。

テレビを消してしまえば、新聞を閉じてしまえば、静かな日常が広がっている。もっとも年中ネットにつながっているから、同じように情報はやってくるんだけど、ネットはテレビや新聞よりうるさくないのがいい。まず、音がないし、新聞みたいに字の大小がないから、すべての事件が同じ大きさに感じられる。

ネットのなかは静かだ。

殺人事件もヒットした映画の話題も選挙もみんな同じ級数の文字で語られる。情報が均質にならされている。そうやってみると、テレビってかなり原始的なメディアだよね。だって、生身の人間がでて、あーだこーだしゃべっているんだもん。ネットは顔も見えないし、声も聞こえない。体温の伝わらないメディア。そのクールさがいいのかもしれない。そして、それにだんだん慣らされていくので、生臭いメディアがうっとおしくなっていくのかもしれない。

事実、私はひとりでいるのが好きだ。(もしくは犬と一緒。犬はしゃべらないから)急激なさびしさに襲われることもあるけど、それでも一人でいられる状態を手放したくない。まずいのかな。

今日は一日、家にこもって、韓国ロケの構成を練り直した。夕方、犬と近所に散歩にいったら、公園がひとつなくなっていた。新しい高層マンションの一画に組み込まれてしまった。ものすごい勢いで近所の様子が変わって行く。

変わらないわたしに、変わって行く町。お気に入りのパン屋は休みだったし、野菜を買い過ぎて、重くて大変だったし、久しぶりの困難な散歩でした。

ネットは静か、と書いたけど、もう、pc上でテレビも見られるから、静かとはいえないのかな。でも、テレビをつけなければそれまでだよね。

急にくらっとする。なんか、生きていること全体に。

とはいえ、明日もきちんと働かないとね。