山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

お金という道具

お金のことについて考える。(ちょっと用事で税理士さんのところにいったのでね)
税理士さんは、仕事がら、いくら稼いだかで、そのひとを評価するような部分がある。なにをやったか、より、いくら稼いだか、なのだ。

それはそれでいいし、物事を数値化することでわかりやすくなる部分もあるのだから、いいとは思う。けれども、お金っていうのは、やっぱり、目的ではなくて、道具なのだと思う。

例えば、私は海外ロケに出かけている間、ペットシッターを頼む。犬の世話をしてもらうわけだ。これはお金で世話を買っていることになる。つまり、お金=道具である。ややこしいことを解決するにもお金は有効な道具である。たいていの事件は、お金に換算されるうる。

失恋だって、精神的苦痛として、金銭化できる。これは悲しみをお金に替えるわけである。
そうしてみると、お金とは全く便利な道具である。なんにでも代替可能な万能選手なのだ。

が、あくまで、道具でしかない、ということを忘れずにいたい。お金を稼ぐことが目的になると、結局、自分がお金の道具になってしまう。お金を増やすためにあれこれするってことが目的になると、結局お金に使われているように思う。

いえ。
ちょっと番組の予算のことなど考えていたら(普段はそういうこと、全くノータッチなんだけどね、苦手だし)、お金ってなんだろうって思ったのだった。

一応、いっとくと、負けおしみじゃないのよ、ほんとに。