山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

とことん脱力。

なんでこんなに疲れるのだろう。
今、ようやく暇になったのに。身体にしみ込んだ、疲労はなはだしく、脱力している。

16時の打ち合わせを寝過ごしそうになる始末。慌てて乗り込んだタクシーに、某テレビ局の名前をつげると、『知らない」と言われる。ええ?そんな、テレビ局の場所を知らないタクシー運転手っているのか。

そりゃ、テレビ局も引っ越しなどあったから、知らなくてもしかたないかもしれないけどさ。

でもって、道順を教えてながら進む。そしたら、途中でカーナビ見ているから、なんだ、ナビあるんじゃん、と思い、化粧などしている。(遅刻のときはいつもタクシーでお化粧するのだ)

で、フト、窓の外をみると、なんかとんでもないところを走っている。え?うそ?ここどこ?って感じでドライバーに詰め寄ると、「さあ」とか言ってる。要するに私が右だの左だの言わなくなったからってそのまま、まっすぐ進んでいたらしい。うう。

さらに、よく見るとカーナビはなぜか、碑文谷公園を目指している。いったい、これは?
悪い冗談かと思ったけど、マジ。どうしよう、間に合わん、と思っていたら前方に橋が見えてきた。「あの橋よ、あの橋を渡るのよ!」と叫ぶわたし。ドライバーも「わかりました、橋ですね」と答え、(素直なひとであった)車を前進させる。

ナビがあるってのに、地図も搭載しているだろうに、遠くの橋を見ながら走っている。しかし、橋の根元にいけば、必ず、渡れるってなもんでもないのに。

まあ、そうこうするうち、橋を渡り、(それがこれまで通ったことのない橋の渡り方だった。いつもは首都高の下を走る感じなのに)、とにかく、某局にはわずかの遅れで到着できた。ほっ。


でまあ、キュルルってテープを早送りして、働いたあと、「エリザベスタウン」を見ました。いろいろあって脱力してたので、ちょっと始めのほう、見損なった。

この映画はひとことで言うと、へんな映画だ。

へんっていうか、まとまりがないっていうか。監督のこと詳しくしらないけど、「若いひと」が撮ったものって感じ。話が四方八方に飛び、こなれていなくて、かと思うと、なぜ、こんなシーンが延々長い、というような変なこだわりもある。 車と携帯電話とCDがなかったら、生き延びることも恋愛することもできない世代のひとたちの話だ。
シューズメーカーをクビになって、自殺しようとしていると父親の死を知り、父の葬式にでかけ、(そこがケンタッキー州)、田舎のひとにいっぱい囲まれる。途中で知り合ったスチュワーデスと恋愛めく。

「やりすぎ」「多すぎ」ってくらい、音楽がかかる。ひとつひとつはいい感じなんだけど、かけ過ぎだろう。演出をくうほど、音楽かけるのって、今さらださい。(しかし、若い監督はやりたがる)、あ、でもブルース満載で良かったから、サントラ買おうと思って忘れた。脱力。

シーンごと、セリフごとは悪くないっていうか、割と好きな感じなんだけど、『へんなの~」ってシーンが多すぎ。いや、人生なんて、ひとびとなんて、みんなこの程度は「変」で当たり前なのかな。夫の葬式でタップダンス踊る妻、いきなりナンパしてくるスチュワーデス。いや、もちろん、主演のオーランド・ブルームはくらくらするくらいかっこいいから、スチュワーデスじゃなくても、ナンパしたくなるのはわかる。

これはアイドル映画でもあるな、とも思う。つまりさあ。オーランド・ブルームが困ったり、運転したり、電話したりしている時にさりげなくはさまる、割と長めのアップを見るために見る映画かも。かっこいいです。くらくらです。この世にはこういうひとがいるのか、と思うほど。

なんか変な映画だったな~。
父の葬儀が終わって、ひと段落だと思ったのに、スチュワーデスとの恋を進めないといけないけど、これもまどろこしい。冷静に考えるとへんな女だぞ、こいつは。

う~ん。さらに脱力だった。