山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

最近のガキ、フルハタ、自堕落

実は年末よりずっと体調すぐれなくて、ぐったりしている日々。
三が日が終わったら、病院に行こうと思っていたのに、さっそく寝過ごす。
いいのか、そんなことで。

というわけで、一日家でおとなしくしている。といっても、目が覚めたら、J-WAVEのグルーブライン(この番組大好き!)が始まる頃だったので(そういう日多いんだけど)、すでに夕方。一日がとても短い。

新聞をまとめ読みすると、最近のガキは、「習慣」というものが壊れつつあるから、連ドラとか漫画雑誌の売り上げ(連ドラは売り上げって言わないけど)が下がっているんだと書いてあった。
家族でご飯を一緒に食べるとか、同じドラマを見て話し合うってことが少なくなったそうだ。ふうん。

前に飲み屋で知り合った証券会社の女性に、「仕事はフリーランスのTVデイレクター」と言ったら、「フリーだと、自己管理が大変ですね」と言われた。その時まで、自己管理なんて意識したことなかった。言われてみれば、誰にも管理されていないので(あるいは管理してくれないので)自分でやるしかないわけである。

なんでそんなことを書くかというと、最近のコドモは習慣性がない、という記事を読み、そりゃあ、ワタシも同じだわ、と思ったからでした。連ドラ、毎週見続けるのはすごく大変だし。だって、曜日がわからなくなるし。また、同じ話題を共有できるような、「よく会うひと」が極端に少ない。ので、暮らしぶりにほとんど習慣性がない。

犬を飼っているけれど、毎日同じ時間に散歩に行くということもないし、(そもそも、そういう散歩の仕方は犬にとってはよくないのだ)、ジムなども毎週何曜日に行くということができない。そういう意味でいうと毎日、新鮮っていうか、自堕落っていうか。

けど、新聞を読んで思ったのだ。こういう自堕落な生活から生まれた感覚は、最近のお子さまに近い感覚であろうから、彼らの気持ちを想像できるのではないか、とすると彼等に受けるものってなにかわかるのではないか、という強引な論法であります。

習慣性がないってことは、将来、サラリーマンになるのもきついのではないか。あ、それですでに、ニートなひとが増えているというわけか。ふうん。じゃあ、どうすればいいのでしょうねー。 自分はそれでも8年間も制作会社に勤めて、血を吐くよな、地を這うような(大げさか)修行を積んだので、その後フリーになっても、お仕事を頂戴できて、習慣性のない、自堕落な生活を成立させることができたわけで、最初からフリーだったらどうなっていたのかわからない。

気分はニートなひとに近いけど。
外出する引きこもりっていうのにも近い。知らないひとが怖いし。よくそんなんでテレビの取材やってるよと思うけど、テレビの仕事の時には、別人格になるんですね。思えば、8年間の会社員生活は別人格の育成期間だったのかも。この別人格があるから、なんとか社会生活を営んでいるわけだな。

そんなわけで、体調すぐれず、前向きなこと考えられませ~ん。
夜、「古畑任三郎」を見ていたら、22時になって「ディスパレートな妻たち」が始まったので、泣く泣くチャンネルを変える。フルハタはきっと誰か録画しているだろうけど、ディスパはいないだろうとふんだのだ。で、ディスパを見てから、ドラマ業界のひとに連絡。「フルハタ」貸してくれ~と言ったら、相手も同じことを考えたらしく、ディスパを録画して、フルハタをオンエアで見たという。ううん、解決が見れなくて悔しい。

そんな一日。