山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ささやかでも可能性に賭ける。

夏のように明るい一日。
夕方、先日ここでも紹介した、高原監督の芝居「ガールス ヘイト ピュア」を見に行く。監督仲間の0さんも来ていて、ソウルの大学で映画の講義をしてきたとのこと。ムラカミハルキブームなんだってね・・と短くソウル日本文学談義をする。

さて、肝心の芝居。
生涯、関係した男は夫ひとりだけという78歳のおばあさんの独白から始まる。
「女はがまんするもの・・と教えられて・・・横暴な夫に使えた人生」
そんなおばあさんをいきなり現れた天使が21歳に若返らせる。

元・おばあさん(=初音さん)は、東京に行き、孫娘に会う。孫娘=ジュンは、友達の彼氏とも平気で寝てしまう、恋愛にさめた女子大生。肉体は21歳に若返っても、倫理観は78歳のままの初音さんにとって、ジュンの行動は理解できなことばかり。この相反するふたりに、初音の娘、ジュンの母親=アキコも加わり、女の幸せってなに?愛ってなに?セックスってなに?という直球の疑問がぶつけられていく。

一見、女性の作・演出かと見まがうような内容である。フェミニストだったのか、高原さん。なかでも秀逸なシーンは、アキコが自分を変えるためにAVに出演するところだ。初めはしどろもどろだったアキコはどんどん自分を解放していく。さすが、だてにAV撮ってない。こういうシーンに、ひとの悩みのありようとその解決の糸口みたいなものが、あざやかに描かれる。説得力あるよなあ、もちろん、アキコを演じた女優・村松恭子さんの強烈な演技によるところもあると思うけど、特出したシーンだった。

以前、尊敬する編集者から、よい小説を書くコツのひとつに「自分のよく知っている世界を書くこと」と教えられたことがあるけど、そのことを思い出した。AVをたくさん撮ってきたからこそ、描けるシーンだったんだと思う。AVというと、よこしまな想像するひとも多いと思うけど、現場で働くひとたちは、当然のごとくクールだし、エロティックにしようとして、こぼれるおかしみがある。そこでやりとりされる、そこでしか現れないなにかを抽出していたと思う。

自由に生きることなんて想像すらできなかった70代の初音、
自由に生きたいと思いつつ、枠から抜けることのできなかった40代のアキコ、
もはやなんの規範もなく、周囲の雑音さえ気にしなければなんでもあり,でも一方で常に空虚さにつきまとされるの20代のジュン、
三世代の女性の三様のいたみが描かれていた。

世代的にはアキコなんだけど、初音やアキコの悩みについては、かなり早い時期に捨て去ってしまった自分としては、ジュンと同じ場所にいて、しかし、行く先がわからない。どう決着つけてくれるのか楽しみだったけど、う~ん。

ジュンの空虚さはいったいどこへいくのか・・・

結局のところ、ジュンたちの行く先はまだ誰にもわからないんだよね。果てしない失敗が待ち受けている可能性もあるけど、私は、ささやかであっても、生き抜く可能性に賭けたいなと思うのだった。だって少なくとも、私は今日まで生きてるし。

というわけで、いろいろ触発された芝居でした。