山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

野性がすき。

突然ですけど、なぜ今、ペットブームか。そして、なぜ、ガーデニングが流行っているか。
その答えを思いついたんですねえ。

それは、「野性がほしい」ではないかしら。

現代ではですね、パソコン、DVD、プレステ、ipodなど、便利でこっちのいうことをよく聞いてくれる(ま、PCは時々いうこと聞いてくれないけどさ)ものたちに囲まれていて、だいたいが指一本で思い通りになるわけですね。すると、それはそれで楽しいんだけど、なんかこう、空虚な感じがつきまとうのではないかしら。

(恋だって、思い通りにいく相手より、障害があるほうが燃えるでしょー。と、脱線。)

だから、すすんで身の回りにミニ野性ともいえる、犬とか猫とか、花とか草とかを配置するのではないかしら。そういう自然なるものにふれ、楽しい半分、言葉の通じないもどかしさや、思い通りにいかないいらだちを感じることで、生きてる実感を取り戻すのではないかしら。

なんかさー、80年代くらいから恋愛至上主義つうのが、流行り始めて、今では恋愛は小学生からたしなむものになりましたけどさ、これも実は、「野性にふれたい」衝動の現れであったのではないかしら。恋愛ってだって、不合理で非経済的でしょ。けれども、その面倒な感じ、ケモノな感じが、よかったのではないかしら。高度成長によって失われつつあった人間性(キャ!)を回復したわけだよ、恋愛で。

けれども昨今、ヒトそのものの野性もすっかり弱ってきて、恋愛というヒト同士がやるものでは、満足できなくなったのではないかしら。で、犬、で、例えばバラ。

バラなんかさー、育てるの大変ですからね。きれいに花を咲かせるために、あの手この手がいるわけです。そういう手のかかる、予測不可能でありながら、花が咲いたときには達成感が得られるような、そういうことが大変、求められているのではないかしら。

あ、こんな説明をクドクド書いていたら、空虚な気持ちになってきました。そう、この感じ。なので、ひょいっと身体を斜めに動かして、いつも私の後ろで寝そべっている、愛犬のふさふさした被毛にふれることにいたしましょう。

うふっ(犬にふれてうっとりする音)。

野性がすき。うちの犬が好き。