山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

「もてること」に無関心な人々。

昨日、少しふれた「もてなくていい」「もてることに興味ない」というテーマについて。

例えば、雑誌「ニキータ」や「レオン」。年をとっても必死で「もてよう」とするひとたち向けの雑誌である。古くは、「ポパイ」や「ホットドックプレス」という雑誌があり、一貫してテーマは「もてる」であり、「もてる」ことは、日本全国一億二千万人に共通する望みなのかとうっすら納得していた。というより、そう信じてきた。

実際、50歳近くなっても、血眼で「若い女子」を追いかけ回している、オヤジは結構いる。確かに、客観的に見ると、「アワレ」な感じがするけど、その心情は理解できなくない。ひとは、若き日に、手に入れることのできなかったものに、生涯執着するからだ。だから、彼らが、権力を持つ職場で、職権を利用して、部下、もしくは部下に近い関係の女性に、セクハラをするのは、理解できるのである。(理解しているからといって、認めているわけじゃないけど)

で、ここからが本編。
12歳の小学生から60歳のおじいまで、日本全国民が「もてる」をテーマにしているのか思っていたら、「もう、たくさん」と思っているひとたちが、確実に生まれているということ。うすぼんやり、そうかもしれないなーと思っていたけど、当事者とじっくり話して、とても新鮮だった。

「もう恋愛はいい」という。

「恋愛はめんどくさい」というわけだ。確かに、恋愛至上主義の時代は去りつつあるのかもしれない。かつて、「自由恋愛」と呼ばれ、一部の特殊な男女だけが、行ったとされる恋愛が、1970年頃から大衆化した。それから30年以上が過ぎたのだ。そうなってみると、恋愛は特殊なひとがある決意をもってする大事業ではなくなり、幼い頃からたしなむ遊びのひとつに過ぎなくなったようだ。

盛り上がるためには、恋人に難病のひとつにでもかかってもらわないと続かないのである。現実には、普通の恋人は普通に元気だから、どんな恋愛もそれほど盛り上がらずに、平凡な結婚にゆきつく。それがどうした?という気分なのかもしれない。

仕事があって、楽しい友達がいれば、あえて恋愛の残骸である結婚を選ぶ必要はないのかもしれない。けど、私はまだ、わからない。どうしても、「さびしくないの?」と問うてしまうからだ。いや、恋人がいても寂しさが緩和されるわけではないことは、充分わかっているのだけど。

唯一、あるとすれば、「番いの良さ」ではないかと。犬も一頭で飼うより、二頭で飼ったほうが、安定する。いやそれが異性である必要はないのかな。結局、恋人って性的な存在だから、性欲の抹消なのかな。

まだまだ、わからないけど、「もてたくない」という心意気に、ちょっとやられた。なんと自由なことよ。

とりあえず、考えまとまらないので、今日はここまで。