山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ふられても幸せな生き方

恵比寿で「間宮兄弟」(森田芳光監督)を見ました。

見ている間中、考えていたのは、「カモメ食堂」に似ているかも・・というところ。どこが?というと、どちらも、「いい年して、恋愛あるいは結婚の外側にいるけど、なんだか幸せそうである」という点でした。

映画や小説の大きなテーマに恋愛があり、その延長線に家族愛がありますけど、それ以前というのは、なかなかテーマになりにくかったし、なった場合は、「不幸せ」なものとして描かれがちだったけど、この2本は、どちらも、「恋愛も結婚もないけど、幸せ」が重要なテーマになっていると思う。そこにあるのは、ささやかな出来事のつらなり。

狂乱の80年代、バブルとバブル破滅の90年代、そして、空白の(?)00年代にふさわしいテーマかもしれない。けど、「間宮兄弟」と「カモメ食堂」は決定的にちがうところがある。以前、はまった精神科医・斉藤環さんがどこかで書いていたけど、男のひきこもりは、女への欲望を残したまま、引きこもるので、女性と関わりたいという欲望を刺激することで、外に出て行くチャンスがある。が、女性のひきこもりの場合は、男性になにも期待していない場合が多いので、徹底的にひきこもる、と。

これらの映画はひきこもりがテーマではないけど、共通するところがあるなあ、と。

だってさ、「間宮兄弟」は、できれば恋愛したいわけだ。しかも、アタックする相手が、沢尻エリカや常盤貴子や戸田奈緒ですよ。すごい無理目な女性にいくわけ。で、ふられる。ふられなければ、普通の恋愛映画になってしまうわけだ。一方、「カモメ食堂」の女性たちは、もはや、恋愛や男をほっしていないのよね。年齢の差もあるけど、男と女がこのようにして、はるかかなたの存在になっていくのかしら・・と思った。

おたく男たちは、自分たちを顧みず、いつまでたっても、若くて可愛い女子と恋愛することを夢見ている。一方、おたく(?)女たちは、そんな男たちに見切りをつけて、自分たちだけの世界を作ろうとする。こうして、非婚少子化社会が進化していく・・・そんなことを感じました。

間宮兄弟だって、身の丈にあった女性を選ぶとか、無理目な相手でももっと必死になるという方法もあるのだろうけど、それをしないところが、「あり」なんだよね、きっと。

濃い関係を嫌うってことなのかなあ。