山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

謎ばかり。

夜、「夜のピクニック」を見に行く。同行のひとが仕事上の関係で見なければいけないということで、おつきあい。う~ん。原作読んでいないから、映画の感想として。う~ん。

内容は、高校最後の歩行祭(一晩かけて80キロ歩く、学校行事)に参加した主人公(女)のお話。彼女のテーマは、同じクラスにいる、異母兄弟の男とひとこと話しをすること。

彼らが異母兄弟であるというのは、主人公の母親が、不倫関係にあるひとの子供を生んで育てたわけである。でもって、その家庭のシーンにより、母親は、自立して、海外にも仕事に行くような、ある程度成功した女性だとわかる。しかしなあ。つまり、この男は、同じ年に妻と愛人を妊娠させたというわけだ。どこかの地方都市に暮らしていて、まずこの前提が、「すげえ」としか思えない。避妊しないのか、そのひと。そんなすごい前提のファミリー出身のわりには、主人公はまっとうそうな普通の娘である。母親との仲も良好。そんなに簡単か?

しかし!驚くのはまだ早い。

本妻の子と不倫の子は、偶然にも同じ高校に行くのである。うわー。私が母親なら(不倫側の)、子供が生まれた時点で、本妻の子と同じ年だとわかるわけだから、ぜ~ったいに同じ学校に行かないように、心を配るように思う。だって、保護者会などで本妻に会うかもしれないじゃないか。子供同士が仲良くなっても、仲悪くなっても、気まずいことにならないか。いや、子供同士が乗り越えられても、本妻は乗り越えにくいのではないか。それくらい思いやらないか。

しかし、驚くのはまだ早い!この母親、同じ高校に異母兄弟がいるということを、娘のいないすきに、娘の友達に教えるのである。そ、そ、そんな。母親として、というか、人間として大きく間違っていないか。そもそも、そんなひとだから、不倫相手の子供を産んだってこと?それくらい、いっちゃってるひとってキャラ?
南果歩さん演じる母親は、そんな、いっちゃってるひとには見えなかったけど、まったく理解できなかった。
さらに、それが分かった時点で、母娘は大げんかにならないか。私が娘なら、家出する。自分のいないところでそんな大事な話を友達にするなんて・・。

このような映画の本筋ではなく、前提が気になって気になって。しかし、これは、もっとも進んだドラマなのかな。スウェーデンみたいに、結婚制度が意味をなさなくなり、同棲、結婚、離婚が日常で、血のつながっていない兄弟がめずらしくないという社会環境にあって、「たかが結婚じゃん」「不倫とか騒ぐなよ」「みんな仲良くしようよ」という、たいへん21世紀的な提案なんだろうか。

なぞ、なぞ、なぞ、だった。