山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

もどってきた年賀状など、年賀状雑感。

手紙を書いたり、日記を書いたりするのがもともと好きなので、こうして、毎日日記は更新してるし、年賀状などもたくさん書く。印刷技術の発達で、決まりの挨拶から自分の住所、そして宛先の名前も住所も手書きじゃない年賀状が多い。けど、自分は手書きのひとことが添えられているのが好きだし、せめて、宛名くらい、手書きのほうが嬉しい。だって、こんな文字を書いているね、と思うだけでも、年賀状くらいしかやりとりしなくなったひとの、わずかな空気を感じるからだ。

全部が印刷であっても、あけましておめでとう、とか、今年もよろしく、という当然の挨拶だけより、踏み込んだ近況が書いてあるのが好きだ。最近やった仕事のこととか、あと、多くのひとにひんしゅくを買っている、家族全員が写っていたり、結婚式の写真が貼ってあるものも、かなり好きだ。こんなひとと結婚しているのね、とか、その時の家族の様子などを見るのは、短編小説のようで楽しめる。写真からいろんなことを想像できるし。

そんなわけで、年賀状を見るのは大好き。さて、今くらいの時期になると、「宛先不明で届きませんでした」として、自分が書いた年賀状が、何枚か戻ってくる。引っ越してもわざわざ知らせるほどには親しくないひとの場合が多い。そういう時はこれが限りになって、つながりがとぎれてしまう。寂しいような気もするけど、まあ、仕方ないか。

けど、問題は、相手からは新しい住所の年賀状が届いていた場合。正しい住所がわかったわけだから、出し直す・・という手もあるが、今となってはなんだか間抜けだし、どうしても出さないといけない必然もない。それで、どうしようかなと迷っている。もうちょっと、日々の暮らしに時間があればいいんだけど、ちょっと余裕ないから、うまくフォローもできないし。かといって、「あー山田さんはどっかに引っ越したのだな」と思われて、とぎれていくのも少しさみしいし。

そんなわけで、年賀状雑感、あれこれでした。

あ、もうすぐ、お年玉年賀状の当選番号発表だ。これって、結構楽しみなんだよなー。別に景品がほしいというより、誰から来た葉書があたるのかな・・なんて思うのが楽しい。

すっかり、正月より遠く離れて。