山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

さくらん、見てきた。

渋谷で蜷川実花監督の「さくらん」を見てきた。女の子の客ぎっしりであった。評判の傾向としては、ビジュアルの美しさ、美術の特異さばかりが喧伝され、一部批評では、「内容がない」とか「ストーリー性が弱い」というマイナスのものもあったけど、う~ん、そんなことなかったなあ。

脚本は、自らも監督であるタナダユキさん。このひとの「月とチェリー」は傑作だと思う。彼女ほど、女性の性欲について、ストレートに正直にそして、いやみなく描けるひとはめったにいないと思う。それで、「さくらん」ですけど、そういう意味でも、やっぱり女のひとにしか描けないものがちゃんと描けていたと思った。

客が若い女の子ばっかりなのがうなづける。彼女たちもバカじゃなく、宣伝に踊らされたのではなく、自分の心とカラダに響くものを感じてやってきたんだと思うなー。「さくらん」には、三人の花魁が出てくる。ひとりは、菅野美穂演じる、のちに大名(だったか)に身請けしてもらって、吉原を出て行く女。もうひとりは、絵師との愛を貫くために吉原で命を落とす木村佳乃演じる女。そして、最後が主人公の土屋アンナ演じる、愛を貫いて吉原を出て行く女である。つまり、この映画は、「どうやって吉原を出て行くか」というのがテーマかもしれない。

金持ちの男に見受けしてもらう。死ぬ。愛を貫く。この3つなのね。これってさー、実は、吉原じゃなくても、同じかもしれないよね。今の世の中だって、まだまだ、女にとって世界は吉原とさして変わらない部分があるからね。世界(=吉原)を牛耳っているのはお金と地位のあるおっさんで、いつも女は身体と美貌と若さで測られてしまうという現実。できればそれを、愛で乗り切りましょーよ、というのがテーマかもしれない。

そんなコムズカシイことを言わなくても、この映画のからみは、やはり女のひとの快楽のありようとよく描いていたと思うな。なんか嬉しかった。からみのシーンが、ほんとに、女のひとをモノ扱いしていない、ちゃんと快楽の主体が女のひととして、描かれているんですよね。凡百のおやじ映画では決して描かれたなかったものだ。椎名林檎の音楽もよかったし、なんだかいい時代になったのだなと、思うのだ。がんばれ、女子たち!そんな気持ちになりました。

まだまだ、手つかずの分野がこの世にはいっぱいある。ほんと、映画はもう、女のひとのものだよなあ。
撮るのも見るのも。