山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ハードボイルドなハーレクインロマンス。

そんなわけで日曜日。
日曜日は普通、おやすみのはずですが、前世で王様に生まれて、全然働かずに、酒池肉林を繰り返した罪で、現世では、日曜日も土曜日もずっと働いております。はあーっ。

それでも、昨日は仕事のあと、映画も見に行ったのだから、(帰ってからも仕事したけどさ)まあ、それで幸せだったりするので、前世の罪を着々と償っているわけですね。今日はこれから、構成直しをやって、明日はロケだ。そして、翌日には短編小説の締め切りがあって、一日空けて、またロケですね。まあ、なんて充実した幸せな日々でございましょう。

あ、そうだ、今日はハードボイルド小説のことを書こうと考えていたのだった。うっかり忘れてた。沖縄から戻って、たまっていた新聞を読んだら、その中のどれかの記事に、村上春樹巨匠が翻訳された、チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の話が載っていました。その記事のなかに、最近は、ハードボイルドは売れなくなってしまって、なぜならそれは「おじさんのハーレクインロマンス」みたいだからだ・・と書いてあって、ほほうとひざを打った次第です。

ハードボイルド=おじさんのハーレクインロマンス。まったくそうかもしれませんねえ。この世の小説には、
「こうあってほしいなあ」という願望を織り込むタイプのものがあり、その望みが多くのひとと合致するとヒットしたりするわけですよね。「失楽園」「愛の流刑地」などの一連の作品は、おじさんの願望そのものですよね。仕事ではぱっとしなくなった50代のおじさんが、まだまだキレイな30代の女性と燃えるような恋に堕ちる・・。現実には、30代で美人だったら、よほどのことがないと50代のおじさんを相手にしませんから、ありえないわけです。だから、小説のなかだけでも願望を叶える。女性用のハーレクインロマンスだって、地味でおとなしい女性が、ある日、見目麗しいリッチな青年に見初められるというストーリーですから、どっちもどっちですよね。

ただ、市場の全権をにぎっているのが、おじさんだったため、女のハーレクインロマンスは下位で低俗なものとされ、おじさん慰撫小説は文学と呼ばれることになったんですね。出自は同じなのに。実は文学ってそういうもんですよねー。権力を握っている側が、正統になる。しかし、時代が過ぎて、どっちも同じジャンと読み解かれてしまった。で、ハードボイルドは低迷すると。

それじゃあ、今ってなにがリアルなんだろうなあ。しみじみ思うのは、最近の男子の「ガツガツ」しない感じですね。先だって、女子大生女優さんが言ってたけど、同世代の男子はしつこく口説いてこないそうな。しつこいのはおじさんばかりらしい。男子は、しつこくして断られて傷つくより、ひとりでいいやってことなんだろうなあ。性的ポテンシャルも減っているのでしょうし。

そういう時代にひとびとは小説になにを求めるのだろうかー。なんも求めないって?そうかもしれませんねー。まあ、そうだとしても、ずっと考え続けるのでした。なぜなら、考えるのが好きだからでした。ちゃんちゃん