山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

セクロボとNEOの間にあるもの。

思ったより仕事が早く終わったので、久しぶりにテレビを見る。
「セクシーボイス&ロボ」と続いて「サラリーマンNEO」。このふたつのドラマ(ネオはドラマじゃないかもしれないけど、ドラマ仕立てではある)、たぶん、真逆の世界観に被われている。

「セクロボ」では、20代前半のヲタクが、40代前半の看護師に一目惚れする。「NEO」では、中年の上司が、部下の連れてきた20代の彼女に、ぽ~っとなる。「NEO]の世界観はわかりやすい。さすが、伝統のNHKだ。私が子供の頃から続いているような、ある種、懐かしい「笑い」のとりかただ。そこには、おじさんと若い男子と若い美女、もてない若い男子が、存在する。中年ともてない男子は、いつも美女のことで頭がいっぱいで、右往左往する。それを笑うのがお決まりだ。でも、決して、おばさんは登場しない。登場するとしたら、若いサラリーマンのお母さんだけだ。この世界では、一定の年齢をすぎた女性は、お母さんか妻の立場にないと存在しない。もしくは、いないようにふるまわれてしまう。

一方、「セクロボ」はそこらへんが、圧倒的に新しい。小林聡美、もたいまさこ、ともさかりえの三人からなる、謎のかっこいいおばさん(おばさんという言葉を使うのは嫌いだけど、使わないと意図が伝わりにくいので、あえて使うことにするけど、お三方、ごめんなさいね)が、さっと道路を通り過ぎる。かっこいい。これまでのテレビで、なかなか描かれなかったカットであり、キャラクターである。そして、彼女たちの誰もが、誰の妻でもお母さんでもお姉さんでも、もちろん恋人でもないのだ。無記名の女たちである。そういう女性にロボが心をひかれるのだ。一緒にいると「楽しい」のではなくて、「苦しい」ような惹かれ方をする。

ここでは、「NEO」に描かれるような、わかりやすさはない。わかりやすさの彼方にある、たぶん、現実、もしくは現実に近いものを描いている。そう、実は誰もが若いねえちゃんばかりを追いかけているわけではないんだな。

そんなわけで、ひさしぶりにテレビ見たら、なんだか、考えてしまった。ついさっきまで、自分の恋愛ものの脚本書いてたから、批評眼がぎらぎらしてしまったのかもしれない。

そんなこんなの火曜日。