山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

嘘つきアーニャに救われる。

実は昨日は、非常にイヤなことがあって、帰宅後も気分優れず、締め切りを前にした原稿が一枚もかけなかった。自分がこれまで信じてきた、人間の良心みたいなものをほとんど持ち合わせていない、恐ろしく強慾な人間を見て、心のそこから傷ついた。自分からなにかを奪われるから傷つく・・というのではなく、同じ人間でも、ここまでいやしい心の持ち主がいるのだ・・という事実に足がすくんでしまうのだった。

夜になってもほとんど一睡もできなかったので、米原万里さんの「嘘つきアーニャの真っ赤な嘘」を読んだ。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作であるけれども、いやあ、傑作でした。自分の抱えている問題など、非常にちっぽけなものだと自覚できて、朝方少し眠ることができた。

10代の頃、自分も一時、共産主義に理想を見たことがあった。(だから一応ロシア文学専攻なのね)。けれども、20世紀っていうのは、理想が、現実、というか、人間の欲望によって、無惨にも壊れていく過程を見せつけられる時代であったと思う。「嘘つきアーニャ」は、その過程を、小学校の友達の30年後の姿を丹念に追うことで、示してくれた。ソ連、チェコ、ルーマニア・・それぞれの国で、社会主義が崩壊し、その過程で、子供たちがどのように生きていったか。

今でも、理想をつらぬいて、質素でも貧しいひとの味方になって生きているひともいれば、保身のために自分にも周りにも嘘をつきながら、自分だけ、贅沢を享受しようとするひともいる。その姿が、なんとも明瞭に描かれていた。

タイトルにもなっている、アーニャの生き方は、ある種、このような時代だったのだから、こうなってしまうのも仕方ない・・とも言える。けれど、それだけじゃあ、希望がなさ過ぎる。しょせん、人間なんてこんなもんですよ・・・ってことになる。けれども、著者はちゃんと、希望を理想を伝えてくれる。同じように時代の荒波にもまれようとも、最後まで理想を捨てずにいる、アーニャの兄の姿もちゃんと提示してくれるのだ。

力強い作品だった。おかげで、朝方少し眠ることが出来た。自分をとらえていた、憎しみから少し解放された。こういうとき、やはり、文学の、芸術の強さを信じたくなる。ひとを生き長らえさせるのは、文学なんだよ。ご飯やお金で命はつながるけど、精神をもちこたえさせるためには、文学がいるんだよ。そう思うと、自分も文学のはっしこにいられることが、本当に嬉しく、自分にできることは書くことなんだよ、と思えてくる。

それで、午後から短編小説を一気に書き、夕方、親しい友人と渋谷で飲んだ。とても気持ちのいい夜だった。
(が、ひさしぶりのアルコールと睡眠不足で、貧血して倒れた。意識を失ったけど、友人とお店のひとの解放で、数分後に回復。帰宅してこれを書いてる。)

文学とひとを信じたいよ。