山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

若いうちはアーティストじゃねー。

昨晩は、ぼんやりしていて、テレビを思わず見た。NHK教育で深夜にやっていたアメリカのテレビドラマ「パパにはヒミツ」(邦題は…だけど)、これ、面白かった。

ニューヨークかボストンあたりに暮らす一家のお話。父親はライター、母親は看護師(?)、娘ふたりに息子一名という家庭である。この娘ふたりの設定が、ある種古典的といえば古典的だけど、面白い。姉は16歳なんだけど、ブロンドで美人で色っぽくて、素直だけど、バカ。服と男のことしか考えていない。ほとんど一日中、携帯電話でしゃべってる。妹は真逆で、黒い髪であんまり美人じゃなくて、でも、成績優秀で、シニカルな漫画を書くのがうまくって、姉をバカにしてるけど、友達は少ないし、皮肉ばっかりいってる。この真逆な姉妹と、チクってばかりいるへんてこな弟に父親が翻弄されるお話だ。

正反対の姉と妹というのは、古くは、映画「ピクニック」でも見られる。姉は美人で男にもてて、性格がよい。キム・ノバクが演じてた。この映画の最後の妹のセリフが私は好きだった。「いいの、私はニューヨークへ行って作家になるから」。妹もちょっと好きだった男が姉が恋人同士になって、どっかにいくとか行かないとかって話だったような。

もうひとつは、「大草原の小さな家」。ここの姉妹も正反対だった。よい子の姉と奔放な妹という設定。(ガキだけどさ)。ドラマツルギーとして、正反対に描いたほうが面白いから、こうなるのであろう。しかし、実際は似たような姉妹のほうが多いのではないかな。環境が同じなわけだから。

そんなわけで、偶然見たけど面白くてもうけものであった。これからも見ようっと。

あと、偶然見たのは、(要するにサボってたんだね)、「オーラの泉」という番組。スピリュチュアル関係の話は苦手だけど、アルフィーの高見沢というひとのありようが良かった。結構な年齢なのに、ビュジュアル系の服と髪型を貫いているってところがいいなあと思った。それで思ったのは、若いうちは芸術家なんて名乗れないってこと。若いうちに、映画を作ったり小説書いたりすることって、わりと多くのひとが試みる。派手な服着てみたり、ロックバンド(ロックじゃなくても、いいけど)組んだり、芝居やったり、いろいろするでしょ。朝まで小説読みふけったり(ゲームでもいいけど)。そういう反社会的な文化的活動を、若いうちにやるのは誰でもできるし、普通のことだ。が、それを一生、貫けるのかよ。

芸術家はそれを貫くのだ。50歳すぎても長髪でフリルのついたスーツを着ている高見沢というひとを見て、このひとは、アーティストなのだと思った。かつて、つかこうへいさんが、言ってた。学生の頃、自分が芝居やってるとき、学生運動が隆盛で、活動家たちから、「芝居なんかやりやがって」と言われたけど、自分はその後もずっと芝居やってる。が、そのころ、デモやってた奴らはどんどん就職して普通の大人になった。最後までやらない奴に批判はさせん…みたいなことを言ってた。(書いてた…かな)。

その心が最近ようやくわかるようになった。ずっとやること。これはとてもたいへんなことだ。若いうちにバンド組んでるのはいいよ、かっこいいし。けどさー、いい年して売れなくなっても、ギター弾いてるオヤジ、かっこいいでしょ、やっぱり。(趣味じゃだめ)。それが芸術ってもんでしょー、貫くってことでしょー。

そういうことを思いました。で、自分もいい加減いい年なんだけど、反省しないで、貫こうじゃねーの、このまま行こうじゃねーの、いい年してみっともねーと言われてこそだわ、と妙に強気になったのであった?