山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

追悼  佐藤真監督

映画監督の佐藤真さんが、亡くなられた。

佐藤真さんは、新潟水俣病をテーマにしたドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」などで知られる、優れたドキュメンタリー作家だった。監督協会の広報の仕事を通じて、短い期間だが、一緒に仕事をしたことがあった。フィクションとノンフィクションの差とはなにかに関心を持たれており、それをテーマに、是枝裕和監督にインタビューをすることになり、同行した。是枝監督の「誰も知らない」が、フィクションであるのに、フィクションとは思えないほどリアルなできあがりであることから、演出ってなんだろう…ということを主に話し合ったように思う。佐藤監督の、熱心にインタビューし、青年のように思い悩む姿を今も覚えている。(詳しくは、日本映画監督協会のウエブサイトへ)。

佐藤監督は、常にご自身の仕事に真摯で、それを実現させるために、努力を惜しまない方であった。自分の映画のチケットを自分で売り歩く話や、資金の集め方など、全部自分で、骨身を削ってやっていると、伺ったことがある。私はテレビ業界で、頼まれた仕事を予算のなかでやる、という形でしか、作品を撮ったことがなかった。だから、撮りたいテーマのために、資金集めから自分でやるという佐藤さんの姿に、衝撃を受けた。そして、撮りたいものを撮るには、そういう道があるということを学んだ。自分の甘さを思い知った。

鬱病をわずらっていることは、以前、メールでうかがったことがあった。けれど、深刻な様子ではなく、「鬱病にかかっちゃったんですよ。困りましたね」という感じで、そんな自分を客体化していらっしゃるように思えた。それが数年前だったと記憶している。

ニュースでは自殺と報道されている。もう、生きるのがいやになってしまったのだろうか。病気がつらかったのだろうか。真意はわからないけれども、気分は少しわかるような気がする。映画をとり続けていくことは、とてもたいへんなことである。しかも、ドキュメンタリー映画は、フィクションよりさらに厳しい状況におかれている。「阿賀に生きる」を撮られた時より、ずっと社会が「拝金主義」に染まり、とにかく、多くの観客が集めることのできるものばかりに目がいくようになっている。そういった経済的な環境だけじゃなく、作品を作り続けるというのは、本当にハードなことだ。私自身、しょっちゅうめげるし、この先生きても夢も希望もないんじゃないか、なにを書いても無駄なんじゃないかと思う瞬間はある。そもそも、自分の作品にどれだけの意味があるのかと思ったりする。ふっと消えてしまいたくなる気持ちもわかる。

(いいや、鬱病による自殺とはそういうものとはちがうんです…という方がいらしたらゴメンなさい。これはあくまで、私自身の見解です)。

団地の踊り場から飛び降りる瞬間、なにを思ったのだろう。やっとこれで自由になれると?もう苦しまなくてすむと?一瞬でも自由になれると感じて、空を飛ぶような気持ちであったらいいなと思う。

佐藤真監督のご冥福を心からお祈りします。