山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

なにか、大きなものにぐいっと。

今日は、劇団イキウメの「散歩する侵略者」を見てきました。

この劇団の芝居を見るのは初めてでしたが、複数のひとから、「面白い」と聞いていたし、ポツドール愛好仲間の某・編集者さんもここをごひいきにしているみたいなので、前から行きたいと思っていた。ところ、たいへん喜ばしい偶然があって、見ることができました。

ううむ。なんか、この世界は大きく変わっているのね…というのが、最初の大きな感想。芝居としての完成度も高いし、役者さんがみんなうまいし、(なかでも、日下部そうってひとの芝居は、かなりよかったなー。なんというか、場の空気を変える力があるというか。こういう俳優さん、好き)、ストーリーも面白い。セリフが難しい感じがするけど、そういうところも好みでした。

が、芝居の中身についてより、なんかこう、もっと大きな流れの変換を感じてしまったのだなー。なんていうか、「恋愛至上主義」はもう、完璧に終わった感じ。若者の間で、恋愛の占める割合が、すごい勢いで下落していってる感じがした。男女の(男女じゃなくてもいいけど)愛情に対する関心が基本的に薄れ、「そこらへんの話はもう、いいじゃん」という感じになり、そういうものより、もっとこう、大きなもの、戦争とか宗教とか宇宙人とかなど、人智を越えた大きなものにかすめとられたい、あるいは、そこらへんのことについて、じっくり考えたい。もしくは、興味がある…という空気を感じました。

ううむ。
恋愛時代の終焉。このことは、随分前から周りの女子たちを見て感じていたのだけど、いよいよ本格的になってきたなー。あの熱病に浮かされたような純愛ブームって要するに、終わりゆくものを惜しむブームだったのかなー。すでに、恋愛って、消費財としては、消費し尽くされたのではないか。ある一定以上の年齢のひとが、「思い出すもの」としてしか、恋愛は機能しなくなっていて、今、目の前にある愛情、もしくは恋愛のような関係には、それほど、大きなものを感じることができなくなっている。そんな感じをつよくつよく受けました。

だってさー、この芝居だって、いろんな男女が出てくるけど、そのひとりひとりから、性別を剥奪したところで、ほとんどストーリーに影響ないんだよ。男女の差みたいなことに言及することはもはや最初からないのよ。(今でも古いメディアでは、「女ってさー」的な言論は繰り広げられているけどさ)、そしてこの芝居のなかで、「概念」が消費されていくのが面白かった。

愛情をという概念を盗もうとしたら、彼女のなかには、そもそもその概念すらなかった…というオチを正直なところ期待したのだけれど。
なんだか、難しい時代にどんどんなっていくのね。若者はたいへんだー?