山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

追悼 佐藤真監督

佐藤真監督のお別れ会に行ってきた。

人柄が偲ばれるように、会場からは参列者があふれていた。親しい方々の挨拶があり、短いスライドが上映された。

会のあとは、監督協会のひとたちと飲んだ。いつも通り、みなさん個性的なひとたちなので、にぎやかだけれども、なんとなくさすがに、ぼんやりする。なんかこう、晴れない空気に被われているような気持ちになった。生きていることとそうでなくなることの差、本人にとっては、絶大な差なのだけれども、当然、毎日は続いていく。それは誰が亡くなっても同じことなのだろうけれども、なんか、妙な感じがした。

わかったようなことを書きたくないし、簡単に答えを見つけてはいけないのだろうけれど、考えずにはいられない。なぜ?その一線を越えることと越えないことの違いはなにか。ほんのささいなことなのか。それとももっとちがうことなのか。とりあえず、こっち側にいる自分には、わからない。こっち側にとどまれているだけかもしれない。

前に友人と「いのちの電話」の約束をした。思えば20年近く前、友達がやはり飛び降りて亡くなったあとだった。「最後に電話してよ」と。今日もそんな話になった。となりの席のいつも元気のいい監督が、最後には電話しようよと言ってた。そう。その電話ひとつで、とぎれないですむかもしれない。わからない。

佐藤真監督のご冥福をお祈りします。

けれども、私は佐藤さんに、諦めないで、自分の映画を自分の力で撮れるようにしなさい、そうしないとダメだよと言われたことは忘れないし、その言葉のおかげで、自分でトライしようと思ったのは事実だ。だから、今でも感謝している。闘う姿を見せてくれたことに。