山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

カナ、回復中。



今日のカナ。昨日、倒れて、一時は昏睡状態だったが、少しだけ回復。といっても、ほとんどずっと寝ていて、たまにご飯食べて、水飲んで、トイレに行くと、また寝てしまう。ひたすら、ひたすら寝ている。昨日まで徹夜続きで仕事だったんだから、寝させてよーという感じにも見える。ちがうけど。

ずっと前に、自然食を推進している研究者みたいなひとを熊本のいなかに訪ねたことがあった。テレビの取材だったけど。そのひとは、古い農家に鶏とか猫とかいろんな動物と暮らし、お米や野菜も作って、自給自足みたいな暮らしをしていた。で、そのひとが、野生動物が怪我をしたり、具合が悪かったりしたときの直し方について、話していたことを思い出した。

猫とかは、具合が悪いと、敵に見つからないような場所を探して、お腹を地面につけて、ひたすら寝ている。地面が痛みをとってくれると思っているみたいに、とにかく寝ているって。まあ、猫の世界に医者も病院もないのだから、人為的に助けられない限り、それしか方法はないのかもしれない。でも、その、ひたすら地面にお腹をつけて寝ている…で、だめだったら死ぬってことが、なんとも潔いというか、シンプルでかっこいいなーと思ったのだった。

今、カナが具合が悪くなり、親ばかな飼い主のわたしは、犬の最先端医療をカナにほどこし、二週間に1回は心電図とエコーを取り、血液検査をし、点滴をし、酸素吸入できる無菌室に入れたりしている。そのおかげでたぶん、カナは生き延びている。でも、家に帰ってくると、野生の猫みたいな、やっぱり、お腹を地面につけて、ひたすら寝ているんだ。そういうとき、娘のミニもそっと遠くから見守るだけでなにもしない。なんかなー、こういう動物らしさに、毎回、感動してしまう。

悲しんだり、泣きわめいたりするのは、飼い主の人間だけで、動物は、いのちに対して、無駄な抵抗をしない。そんなの動物には、人間なみの知性がないから当然だよ、はっはっはと笑うひともいると思うけど、その知性とやらが、それほど、すばらしいものなのかなー。デカルトは、動物は機械のようなものだと言った。だから、食べるために殺しても、いいのだと言った。以前、女は子供を生む機械と言って、職を追われた間抜けなひとがいた。なんか、根本的にずれている。

今、カナがどんどん弱っていくのを見ていると、なんともいえない高貴なものを感じる。なにかをしずかに受け入れているように見えるから。本人はそんなつもりはないのだろうけど、えらいなーと思う。動物のそばにいると、ほんとに、どれだけ、人間が愚かしいか、と思う。人間っていうか、自分だけど。

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あ、つい最近、ミクシィって出会い系だったのかーとびっくりしてたら、今度は著作権問題が浮上してきた。たいへんだなー。みんな、いっせいに、「わたしの文章がー」「俺の写真がー」「勝手に使われるー」って
怒ってる。気持ちはわかる。「わたしがー「俺がーってつばとばしてる。日本映画監督協会で、映像著作権を取り戻そうと、みんなが必死に闘っているの知っているから、(日本では監督に著作権はない。アメリカも同じです)、いい加減なこといえないけどね。その委員会のとき、ひとりの委員が言ったことが一番、身にしみた。「現実はどうあれ、理想は掲げていかないといけない」そうかもしれない。現実はどうでもね。