カナ、永眠いたしました。
まるで、眠っているようなカナ。
18日、午前2時頃、カナ、亡くなりました。
今日は、ふたつの打ち合わせがあったけど、とてもカナのそばを離れられないと思ったので、編集者のSさんには、自宅に来てもらった。居間で寝たきりのカナを見ながら、新作小説の打ち合わせ。中身のことから表紙のデザインやほかの小説のことまで、たくさん話す。楽しくて充実した時間でした。
夜は本当なら、監督協会の集まりに行く予定だったけど、謝りのメールを入れて、欠席。決めないといけないこといろいろあったけど、そこは、熟練のひとたちが決めてくれて、難なく終わった模様。
そんな風にして一日が終わり、常に居間にいて、カナの寝顔を見ながら、ご飯食べたり、本読んだり、メールしたりしてた。夜の12時くらいに眠くなり、カナの近くのソファで仮眠。でも、カナの息はいよいよ荒いので、熟睡はできない。時々、そばにいって、身体をさすったり、水を飲ませたりする。昨日の夜から、すでにどんなに好きだったささみもチーズも食べなくなった。そして、おしっこもしない。
病院に電話して聞くと、「しつけの行き届いている犬ほど、室内でおしっこしてはいけないと思っているから、やらないんですよね。マッサージして、出してあげて、そのとき褒めてあげれば、次からは寝たままおしっこしていいってわかりますから」と言われる。それで、必死にお腹をマッサージして、「おしっこしていいよ」と言っても、絶対しない。カナは倒れて意識不明になった時以外、一度も粗相したことのない犬だった。常に人間の与えたルールに忠実に従って生きてきた。こんな風に身体がぼろぼろになって、立つこともできないというのに、それでも、部屋のなかでおしっこしてはいけないというルールを守り抜いた。申し訳ないくらいけなげだ。
昨晩、制作部の市川さんが、カナのために酸素ボンベを買ってきてくれて、息が苦しいときは、吸わせてた。市川さん、ありがとう。
そして、2時少しすぎ、すごく苦しそうに息をして、寝返りをうとうとするので、近寄って支えた。そして、ばーっとおしっこをもらしたから、獣医さんに聞いたように、「カナ、良い子だね、おしっこしていいよ」とお尻をさすりながら、言い続けた。昨日からしていないから、ペットシーツ2枚が重たくなるほどおしっこが続いて、「あーこれで、少しはカナも楽になる」と思って、顔を見ると、「ぐへっぐへっ」って咳き込んで、目が焦点を失った。あわてて、酸素ボンベをつけて、心臓マッサージをしながら、名前を呼び続ける。「カナ、カナ」と名前を呼ぶと、二、三度目配せをしたけど、そのまま、すっと気が抜けるように、亡くなった。亡くなったあとも、身体は温かいし、顔も相変わらずかわいいので、死んでいるような気がしない。すごくふかい眠りについているような気がする。
赤ちゃん用のシートで身体を拭いていたら、どんどんおしっこが出てきた。死んで、身体のいろんな部分が揺るんでしまったようだ。考えてみると、人間の死に立ち会ったことはあっても、死の処置というのはプロにやってもらってきたわけで、動物が死ぬと身体にどんな変化が起こるのかよくわからなかった。とにかく、身体から出したい液体を全部だして上げて、それから、全体をゆっくり拭いた。たぶん、病院で看護婦さんはそういうふうにするんだろうな。
カナは95年10月22日に生まれた。わずか4日前の10月18日、私は初めて書いた小説が文学界新人賞をもらい、自分へのご褒美として、カナを飼うことにした。だから、カナという名前は、自分の処女作の主人公の名前だ。カナはそれはそれは美しい犬で、「ペット百科」にレギュラーで3年間、出演した。散歩をしていると、「きれいな犬ですね」とよく言われたものだった。見た目はきれいだけど、気はとても強く、深夜に散歩してて、変なおじさんにからまれたとき、ものすごい勢いで吠えて、撃退してくれた。それ以外では大きな声で吠えることはなかった。
2000年には、近所の太郎君との間に8頭の子犬を生んだ。そのうちの一頭がミニである。カナが自宅で出産したときのようすは全部ビデオに撮ってあるけど、ほんとうに神々しい瞬間だった。
もともと犬が好きで、小さいころから犬を飼ってきたけど、カナほど、そのすばらしさを教えてくれた犬はいなかった。一緒に暮らすことで、犬という人間とはちがう動物のルールを知ったし、一緒にいろんなところに遊びに行ったし、カナのおかげで、犬関連の番組をたくさん作って、たくさんお金ももらった。
今は、さっきまでと変わらぬ姿勢で居間で横になっています。