山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

愚かさが不幸の原因

少し前に、新聞のコラムで知った釈迦の言葉。

「愚かさが不幸の原因」

病気、事故、災害などの避けられない不幸ではなく、人工的不幸の原因はひとの愚かさにあるということらしい。ざっくり考えたら、気持ち次第ってことなんでしょうけれども、確かに、物事をどうとらえるかで、幸不幸は決まるかもしれない。

自分など、たいしたことなくても、すぐこの世の果てにいるような気持ちになってしまうのだから、要するにそれを「愚か」というのだろうなー。「知性とはいつでも笑えること」というのの表裏か。

先月、犬が死んだことは今も心労であるけれども、とりあえず、健康で仕事もあって、それも長い間望んだような仕事があって、経済的にもだいたい恵まれ、親しい友達もいて、かなり幸せな気分でよいはずなのだ。にもかかわらず、なんとなーく、漠然と、どんよりしております。愚か者め。

ほんと、たいして働いていないのに、疲れてるし。これはもう、生まれたときから疲れている感じするし。年をとったから疲れた…というよりも、疲れているのが基本みたいな感じかなー。「子供らしくない」「若者らしさに欠ける」と言われて生きてきて、ようやく気分と年齢があってきたようだ。その点ではよかったよーな。よくないか。

しかしながら、「愚かさが不幸の原因」というものいいは、もしかすると不幸なひとをさらに追いつめる言葉ではないだろうか。「不幸だー」と嘆いているところへ、「それはあんたが愚かだからだよ」なんて言われたら、不幸だし、愚かだってことで二重の苦しみにならないであろうか。

が、釈迦の言葉であるから、そこで「愚か者め」と切り捨てるのではなく、違う観点から“不幸”を抜け出そうと説くのでありましょう。詳しいことわからないけど。

今週はずっと家にいて、おとなしくしていよう。外に出ると疲れる。一月からずっとひきこもって小説書いてたから、その生活に慣れちゃって、外に出たり人と会うとリズムが崩れて疲れるような気がする。それって、あんまりよいことに思えないけどさー。

そんな疲労困憊ですが、今夜は寝ないで働こうと思います。だって、間に合わないんですもん。ケラリーノ・サンドロビッチさんの舞台「どん底」、見に行きたいけど、体力と時間がないなー。がーっと書いて終わらせたいなー。

働け、愚か者。

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