山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

この先どうやって生きてゆく。

割と昼間から外に出た。すると、なんだ、結構、春は来ているのね。ほんのり、ぽかぽか暖かい。

今年は春が始まるのが遅いなーと思っていたけど、あくまで、引きこもりの主観であった。外部では、きちんと春は舞い降りていたのであった。はあ。

このように、ほんの少し角度を変えてみると、世界はちがってみえるものだ。自分ではサイアクと思っている情況が、それほどでもなかったり、自分ではうまくいってるつもりが、客観的に見たら、とても危ない場所をふらついていたりすることだってあるわけで。

だから、どーだってことでもないんですが。

この先、いったい、どー生きていったらいいんだろう…?

みたいな疑問をですね、物心ついて以来、ずっと自分に問いかけ続けてきたように思う。あんまり、同じ質問を問い続けて、すでに飽きたというか、結局、答えなどないということまでわかり、(わかったような気になり)、それでも、ときどき、問い続けなくてはいられず、ほんとにもう、面倒なことよなあと思ふ。

これで自分が70歳とか80歳で、「この先どー生きたらいいんだろう」って問うたとして、その答えはどーなんだろう。命の残りはそんなにないのでから、好きにしたらええねんってことになるか。しかし、「好きに」って具体的にどんなこと?と質問が増えるだけで。あーわずらわしい。

ということで、きっと、自分は70歳になっても、死ぬまでの時間をどうしたらいいんだろうって考え込むだろうなー。そして、答えの見つからないまま、「あ!」と思った瞬間には、この世から消えているということになるのだろうなあ。あるいは、そんなことを考えていられないほど、キツイ病気にかかって、体力ギリギリみたいになったりするのかもしれない。わからんけど。

それでも、「この先、どうやって生きていきましょう」と考えてしまう、ある春の昼下がりでした。
そんなことを考えていられるのは、あんたが暇だからだ!具体的な心配事がないからだ!と言われたらそうかもしれない。目の前に解決しないといけないギリギリの情況、例えば、親の介護とか子供の世話とか自分の病気とか借金とか薬物依存とか暴力ふるう亭主とか近所の騒音とか火事とか戦争とか内戦とかテロとか、直接の心配事がないからでした。

ある意味、幸せなダメ人間でごわす。

さっき、ファッション誌「MISS」が来た。これ、連載小説の最終回なのね。このことを紹介しようと思ったけど、スキャンする元気がないので、明日にしま~す。終わってしまって、残念れす。

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