まだ、読んでないけど、今日、注文した、ミラン・クンデラの「冗談」という小説は、どうもそういう話らしい。解説だけ読むと、絵はがきに書いた、悪気のない冗談が誤解を招き、とんでもないことに巻き込まれていく…だったか。
本はこれから読むとして楽しみにしているけれども、この「なにげないズレ」が災いを呼ぶことについては、考えないではいられない。
これまでも、いろんなトラブルに見舞れているけど、それとて、最初は制御可能な小さなずれから始まっていたのかもしれないなー。あのとき、自分がひとこと言っておけば…逆にひとこと言うのをおさえたら…事態は変わっていたのかしら…など。
いや、幸運だって、同じかもしれない。ほんのちょっとのことで、幸運を招くことだってあるだろう。なにも、不幸ばかりにずれがつきまとうのではないのだ。うまくいった場合のことはつい、忘れ、まずいときばかり考えてしまうからね。
「いいことが起こったときの、偶然の背景」については、あんまし考えたことなかったなー。でも、こんな私だって、幸運に出会ったことはあるはずだ…。たとえば…、うう、すぐに思い出せないぞ。
悪いことのほうだけど、有名な「割れ窓理論」があるよね。あるビルで、窓が割れていたとする。その窓を放置していると、他の窓も割れ始め、次第にそのビルはスラム化する…みたいな話だ。最初に割れた窓を発見した時点で、「窓が割れてますよ」と注意するとか、そっせんして、窓を直すとかしていると、スラム化を防げるらしい。
小さなズレが発見されたとき、なるべく早めに対処して、事態がそれ以上悪化しないように努めたいものだ。って、ずいぶん、抽象的な、説教くさい話になってしまった。
これは事態だけじゃなくて、人間関係もそうだろうし、病気などもそうかもしれない。小さな芽のうちに対処する…。
ちょっとそういう気分の一日でした。
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