山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「ペット・サウンド」

今、村上春樹訳の「ペット・サウンズ」を読んでいる。

ビーチボーイズの元・リーダーであり、作曲家・作詞家であるブライアン・ウイルソンの伝記のような小説である。うう、いい。

先日まで読んでいたミラン・クンデラの「不滅」のなかに、こんなくだりが出てくる。ゲーテとヘミングウエイの天国での会話である。ヘミグウエイは、「もはや、誰も自分の小説を読まないのに、俺のことを、マッチョだったとか、実際はひどい男だったとか、不能だったとかで話題にする。小説より、俺の伝記とか、俺のつきあった女たちについての本のほうが広く読まれているとはどういうことだ!」といった具合に怒っている。(文章は、あくまで私の記憶によってまとめたモノ)。

つまり、ヘミングウエイの作品より、彼個人に関する関心がひとり歩きしてしまい、そういう現状を嘆いているのだ。作品そのもので評価するのではなく、どんなひとがどんな情況でそれを書いたか…にこそ興味を持たれてしまう、今という時代についての、作者(クンデラ)の批判みたいなものもしれない。

で、そうだよなー、そういう傾向は強いよなーと同意して「不滅」を読んでいたわけだが、(日本でも、作品そのものより、誰が書いたかに重点が置かれることは多い)、その舌の根の乾かぬうちに、ブライアン・ウイルソンがなぜ「ペット・サウンド」というアルバムを制作することになったかを、解き明かす本を読んでいるのでした。喜びながら…。

だって、面白いんだもん。苦悩するミュージシャンの実際の姿に触れるのは、興味深いし、次にビーチボーイズを聞くとき、違う態度になってしまう。十年くらい前か、ブライアン・ウイルソンが来日したとき、コンサートに行きました。そのときも、気楽に楽しく聞いていたけど、そうか、そんなつらい背景があったんだーとしみじみ。麻薬関係に溺れて大変な時期を過ごしたことがあるらしいくらいの話は聞いてはいても、ミュージシャンで、麻薬にはまるのはそれほどめずらしいことではないので、どこかで「ふうん」という気分でした。

ビーチボーイズといえは、カルフォルニア、サーファー、海、太陽…などなど、精神のかげりなんかとまったく関係ないようなイメージがあるけど、実は、そんなもんじゃなかったんですね。ふむ。

また、村上春樹巨匠の訳がですね、いいんですね。ずっとこの文章を読んでいたいと思わせる、文章を読む快感がある。なにが書いてあるか…ではなく、どう書いてあるか…にこそ、意味があるんじゃないか…と思えてくるほど。そして、今たくさんある小説やドラマの底流には、しっかりと「村上春樹的匂い」というか、文章の運びというか、感情表現の方法というか、そういうもんがあるなーと今更ながら確認する。

今の若いこは、生まれたときにすでに、多くの文章やドラマに村上エッセンスが入っていたので、(えせも含めて)、あまり反応しないかもしれないけど、青春の初期に、村上春樹に出会った私などは、やはり敏感に反応してしまう。日本語は、村上春樹以前と以後で、たぶん、決定的になにかが変わった…。

というわけで、なんとなく、今、読んでいる本のお話でした。クンデラさんもものすごく面白いけど、こういう本もやはり捨てがたい魅力がありました。アルバム「ペット・サウンド」聞きたい。