今日は、渋谷で、映画「ぐるりのこと」(橋口亮輔監督)を見てきました。
今週の金曜で終わってしまうので、焦って出かけました。因果なことに…別に因果じゃないか、「ぐるり」が終わると、自分が脚本を担当した、「闘茶」が同じ劇場で公開になるのです。終わりは始まりってことかな。
それはともかく、「ぐるりのこと」、さすが、橋口君でした。始まり方がいつもの彼の映画とちょっとちがうなーと思ったけど、クライマックスに近づくにつれ、ぐっと心に迫るように作っていくやり方、そして、ものすごくシリアスなシーンにも必ず笑いのようなシニカルな部分を残すところ、橋口くんだなあと思いました。
(世界に名だたる橋口監督を、「くん」呼ばわりするようで、失礼に見えるかもしれませんが、彼は、ずっと昔自分のADをやってくれてたこともあるし、その後もお友達として、仲良くさせてもらっているので、つい。ふだんは、「はっちゃん」と呼んでるけれども)。
リリーフランキーさん演じる、カナオがなんといってもよかったな。「ちゃんとしていない男」という設定がびったりで、でも、ちゃんとしてなくても、大切なときには、充分、頼りになる、これぞ、愛すべき男!って感じでした。
そして、これは、「ものをつくって回復する」話だと思った。夫婦の話なんだけど、木村多江さん演じる女性は、絵を描くことで回復していくんだよなあと思った。それに対して、カナオは、法廷画家という、絵心とは別の部分で、絵を描く仕事をして、生計をたてている。そういうカップルのお話だ。だから、ちょっといわゆる普通の夫婦の話とはちがうと思った。
自分はたまさか、なんか書いたり、撮ったりを生業にしているし、自分のパートナーのひともそっちのひとが多いので、こういう感じ、すごくよくわかった。ひとを救うのはひとなんだけど、芸術でもあるよなあって。芸術っていうと大げさに聞こえるけど、絵を描くとか、文章を書くとか、なにか作ることって、ものすごく精神を救うのだよなあ。
手前味噌ですが、8月末に発売になる、新刊小説「まじめな私の不まじめな愛情」(徳間書店)は、私にとって、まさにそういう小説でした。ある時期、とてもたいへんなことになり、精神的に危機一髪でしたが、その闇から抜けるために書いたのが、この小説でした。これ、書かないと、死ぬか狂うかしてたと思うの、マジで。
で、「ぐるりのこと」。私は、木村多江さんが、橋口くんに見えた。子供を亡くして、精神を病んでいく様子や、でも、身近なひとの支えと、絵を描くことで、光を見つけていくって、まさに、彼自身に見えた。
子供や絵がなんのメタファーなのかは、想像したけど、ここではそんな野暮な説明はしないけど。
どこかで、この映画を見た後、プロポーズしたひとがいるって書いてあったけど、わかる気がしました。愛情ってどこに宿るのかってことを丁寧に見せてくれた。やるなー橋口。泣かされたよ。
というわけで、あっしもガンバロー。
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