山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

故郷を捨ててどこへいく。

DVDで「ゴーストワールド」を見た。

前に、劇場公開で見ていて、衝撃的に面白かった~という記憶があった。細部を覚えているつもりだったけど、あらためて見ると、忘れている部分も多かったし、構成もセリフも小道具も全部すごくしっかりできている傑作だった。すごい。

主人公が、「アメリカンビューティー」のソーラ・バーチであることは知ってたけど、その親友が、スカーレットヨハンセンだったとは…。今では、セクシーナンバーワン女優だけど、さえない女子高生時代もあったんだ。がしかし、「ゴーストワールド」のなかですでに、スカーレットヨハンセンは、未来を予言している。(女優本人の…ではなく)。思い出したのは、ウディアレンの「マッチポイント」。この映画のなかで、スカーレットヨハンセンが演じるのは、美人だけど凡庸で、結局は男に殺されてしまう女。「ゴーストワールド」のスカーレット演じる彼女も、殺されるかどうかは別として、凡庸な人生を送ること間違いなし。

が、凡庸であるということは、幸せということだ。楽に生きていけるということだ。ソーラ・バーチが演じる女子は、凡庸に生きられず、たぐいまれなるセンスを持っているからこそ、孤独で誰からも愛されないのだ。愛されるのは、「普通」になることだ。この映画が教えてくれるのは、真実とか真の美とか、そういうもんにかかわらないほうが、幸せになれるよ…ということだ。ソーラ・バーチ演じる女子が惹かれる中年の男(ブシュミ)も、センスが飛び抜けているからこそ、まともな恋愛もできないし、最後は、セラピストの世話になる。

なんとも救いのない話だ。が、ラストシーンをどうとらえるかによって、救いがあるかどうかが別れるのだろう。ソーラ・バーチはひとりで街を出るバスに乗る。彼女は彼女の才能を開かせてくれる別の場所へ向かって、出発したのだろうか。それとも、その行き先は、ゴーストワールド=幽霊の世界=死ということ?

友人は、「死」だと思ったと言った。私は全然そうおもなわなくて、彼女みたいなひとがいっぱいいる場所、ありきたりに言えばニューヨークとかへ行ったのだと思った。彼女が暮らす田舎町では、彼女は浮いた存在だけど、世界には、彼女よりもっとずっと浮いたひとたちもたくさんいて、そういうひとたちは、故郷や家族や友人を捨てて、都会に出るのだ。都会に出たからといって、解決される保証はないけど…。

がしかし。バスが向かう暗い道を思い出すとあれは、やはり死の世界なのかなあ。ううん。わかんない。けど、全シーンが面白い。いちいちセリフが面白い。いいな~。久しぶりに見て、ずっしり来ました。