山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ひとの話を聞くのが好き。

楽しみにしていたのに、目が覚めたら、雪ではなく雨だった。残念。

久しぶりに冬らしい、冷え冷えした一日であった。

夜、最初に入った会社時代の友人たちと新年会。といっても、四人で焼鳥屋でぐだぐだ飲んだだけだけど。(といってもわたしはアルコール飲まないけど)。いろんな話をするけど、結構昔話に話が飛んだりする。それが20年前の話だったりするので、面白いような奇妙な気持ちになりました。

今日は、松尾スズキさん演出の「美しい男性」(bsジャパン)見たかったけど、帰宅したら終わっていた。録画できないのが悲しい。

普段、ほとんどひとと話さないで暮らしているので、久しぶりに長時間ひとと話すのは楽しいし、何より、ひとの話を聞くのが好きだ。若いころは、自分がしゃべりっぱなしだったように思うけど、最近、とみにひとの話を聞く方向へシフトしている。自分が話すよりひとの話のが面白い。自分の話は自分がよく知っているので、あらためて、話しても自分は面白くない。それよりも、他人の考えや他人に起こった出来事を聞くほうが断然面白いなー。

一見ごく普通の人生を送っているように見えるひとでも、じっくり話を聞いていくといろいろなエピソードがあるのだ。それを拾っていくのが好き。いや、いつもネタを探しているわけではないけど、事実のもつ重さを充分知っているからかな。日々、想像力でフィクションの世界を描いていると、現実を知りたくなる。自分の考えるフィクションより、絶対現実のが面白いからね。これはわたしの創作能力が未熟だからではなく、どんな作家のフィクションより、現実のが実際面白い。小説は事実には勝てない。勝てない現実に近づこうとして、フィクションの書き手は勘張る。それは、自然の美しさ、たとえば、花の美しさは、花を描いた絵画によりも絶対に美しい…ようなもの。事実も自然の一部であるから、同じだと思う。

もちろん、自然の花が美しいのは限定された時間であり、すぐに枯れる。一方、絵画に描かれた花は永遠に美しいままでいられる。が、その美しさは、実際の花の美しさにはたどり着けない。なぜなら、実際の花は、「美しさ」をめざしていないからだ。絵画の花は美しさを目指すことをやめられない。

あれ、なんの話だっけ。とにかく、ひとと話すのは面白い。その時、物語化されていない話がより面白い。教訓的な話をしてやろうとか、面白がらせようと思って語られた話より、無計画に話された話が自分には面白い。フィクションの海を泳ぎすぎたから?いや、話だって、フィクションであるんだけれども。

疲れたので、寝ます。