山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

犬の運命。

土佐犬が射殺されるという事件があった。

射殺される前に、その犬は、柴犬をかみ殺しており、他に犬を連れた人も襲っていて、かなり危険な状態だったらしい。このような事件を知ると、悲しい気持ちになる。柴犬を殺された飼い主を思うと、とても同情する。もしも、自分の犬が土佐犬に襲われたら…と考えるとつらい。

が、そこで思考停止しちゃいけないよな…と思う。

こういう事件が起こると、問題を起こした土佐犬の飼い主の責任が問われることになる。もちろん、危害を犯す可能性のある犬を、逃がしてしまった責任は重い。が、それだけだろうか…と思う。

土佐犬というのは、明治時代に、闘犬を目的として、交配して作られた犬種のようだ。つまり、闘うことを目的に、本来の犬よりより、凶暴に作られているのだ。作ったのはもちろん、人間だ。

今いる犬のほとんどが人間の手によって、人間の好みに合うように作られたものだ。うちのミニはゴールデンレトリーバーだけど、回収することを得意としているし、家庭犬としても優秀だ。ミニは決して吠えることはないし、ひとを噛むことはなく、誰にでも優しい。これはミニ自身の個性でもあるけれど、(ゴールデンでも凶暴なやつはたまにいる)、誰かが交配して作ってくれた結果である。

犬だけじゃなく、多くの動物が、人間の目的に合わせて作られている。土佐犬は闘うことを目的として作られた犬であり、その扱いを間違って、事件が起こる。扱いを間違った責任は問われるべきだと思うけど、そもそも、そういう犬を作ったのが、自分たち人間なんだ…ってことを忘れずにいたい。

少しでも早く走るためにサラブレッドを作り、愛することを目的に愛玩犬を作っている。なんか…自分たちの満足のために、動物を作り替えているってことに、いつもどうもひっかかる。もちろん、ゴールデンを愛情に満ちた犬に作り替えてくれた誰かのおかげで、わたしはミニという犬に深い愛情を感じ、彼女からも愛情を受け、幸せな時間をもらっている。そのことには感謝している。

だけど。ひっかかり続ける。

そういうことを、「もしも、この世に天使が。」という小説に書き、今も続編を書いているけど、(続編は、動物テーマからやや離れているが…)、考えずにはいられないのだった。

今日は、渋谷で映画「ハッピーフライト」を見ました。非常に完成度の高い、飛行機業界紹介ビデオってぽかったな。田辺誠一さんはじめ、みんな役柄にぴったりで、ところどころ面白いけど、ちょっと食い足りない気もしました。誰も傷つかない映画でした。まさにハッピーな映画。

明日から日常が戻ってくるなあ。