山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「告発のとき」

結果的にいうと、今日は一日、さぼりました。

朝がた、仕事をメールで送って、一段落。眠りまして、午後おきまして、夕方から犬と一緒に長い散歩に行きました。アリス川公園に行って、ミニ森林浴をして、パンやさんでマカロンを買って、帰って来た。その後、22時過ぎから、南青山方面で友人とイタリアンを食べました。そのあと、店の近くのバーで、3時くらいまで飲みました。(わたしはペリエだけ)。帰宅後、ポール・ハギス監督・脚本の「告発の時」を見ました。そして、朝になりました。

で、ポール・ハギスの「告発のとき」。ポール・ハギスは傑作「クラッシュ」の監督であり、もともと脚本家です。ハリウッドの正統派脚本家だと思う。「クラッシュ」にしろ、「告発のとき」にしろ、すべてのシーン、すべてのセリフが、テーマにつながっている。テーマに関係ないシーンやセリフはひとつもない。

ファーストシーンからラストまで、綿密に構成され、無駄はいっさいなし。なので、非常に見やすいし、「濃い」作品である。傑作が生まれやすく、感動しやすい。よくできている。シナリオとは、かくあるべし…と思うのだけど、あまりに完璧すぎて、ちょっとずれを感じることもなくもない。いや、「クラッシュ」に関しては、みじんも感じなかったけど、「告発のとき」は戦争がテーマなだけに、相手がでかすぎて、ある意味、正論すぎて、ひるむところもあった。

というのは、もはやテーマ一辺倒だと飽きたり、疲れたりする場合がある。いや、ちがうなあ。たとえば、「時効警察」はテーマと関係ないシーンがいっぱいある。そして、関係ないシーンほど、面白い…という構成になっている。未解決の殺人事件の犯人を捜す…というのがテーマだけど、案外、そのトリックは重要視されてない。客は別の部分のずれた笑いを楽しむという構造になっている。これはパロディの宿命だとは思いつつ、テーマを全面に出されると、もはや照れてしまうという客の態度があるのではないだろうか。

いや、もちろん、それはテーマ次第とも言える。わかりやすい殺人もの、恋愛ものの場合、パロディにしないと乗り切れないのかもしれない。

どっちがいいのか…という問題ではないけど、一応、作る側に身を置いていると、自分の態度を決めないといけないのだよな、その作品ごとに。小説の分野だと、純文学と類されるものって、テーマずらし…がテーマかもしれない。エンタメ小説は、ずらしちゃだめな分野でしょう。あ、ちがうか、最近のエンタメ小説(ってあんまり読んでないけど)、キャラクター重視だったりするから、ここでもテーマずらしがあるのかもしれない。

なんでこんなに、「テーマ」嫌いになっているのかしら、日本のお客さんは。しかし、大きな日本映画はそうでもないかなあ。

早朝なので、思考がまとまらず、失礼。朝が来たので眠ることにします。

それにしても、ポール・ハギス、すごいな、完璧。