山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

反戦のための戦争。

そんなわけで、昨日、クランクアップしたので、今日は一日おやすみ。



いや~一日、自分を甘やかしました。(写真は、自分を甘やかすために購入したジャンクお菓子たち)。

昨晩は、夜の11時くらいに寝て、朝7時くらいに目覚め、メール書いたりして、その後、久しぶりに自分で朝ご飯を作って食べました。トースト、卵、ソーセージ、トマト、紅茶…というオーソドックスな朝ご飯。その後、超久しぶりに新聞を読んだ。そしたら、眠くなったので、再び、睡眠。

次に起きたのは、午後3時過ぎでした。それからお風呂に入って、夕方、犬と散歩がてら、借りっぱなしになっているdvdを返しにいくつもりだった。ものすごい延滞金がついているし。しかし、疲れきっていて、行くになれず。するすると時間が過ぎた。

夜ご飯は、久しぶりに焼き肉を食べに行った。そのとき、ついでにdvdを返した。延滞金3500円なり、ひゃーもったいない。ま、しかたないけど。

日暮れから、ドリス・レッシングの『夕映えの道」を読む。久しぶりに小説を読めてうれしい。撮影中は、自己啓発本的なものを読んでいた。勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」というもの。中身は超ポジティブシンキングの出世指南本である。

タイトルにひかれて読んだ。「起きていることはすべて正しい」ってことは、今、自分が監督をやって、現場でいろいろうまくいかないとしても、それは全部、正しいこと=つまり、自分が招いたことなんだと自覚し、愚痴らず、怒らず、どう改善したらいいかを考えよということになる。もっともだ。そうやって、毎晩、この本を読んで、めげずに改善する方法について、考えた。結果的にうまくいったかどうかはわからないけど、このような本をカンフル剤のように読まないとやってられなかったから。

が、撮影が終わってしまったら、やっぱり小説に戻りたくなった。自分にもポジティブな面はいっぱいあるし、努力するほうだと思うけど、それでもどこか、「できない側の気持ち」と「できないからといって、全否定でいいのだろうか」という思いがある。老子のいう、「一番うしろを歩いて行く」というか。そして、出世すること、世の中で認められること、強いこと、声が大きいことが、そんなにすばらしいことなのか…という思いがある。

だいたい、撮っている映画のテーマが、自分とも社会ともうまく折り合いのつけられないひとのお話である。今、生きて居る場所で息苦しさを感じているふたりが偶然出会い、数々の困難のなか、なんとか、絶望しないでいこうよ…と小さく励まし合うような物語である。自分は声も小さいし、強引にものごとを進めるのも苦手で、弱いひとの味方のような映画を作りたいと思っている。けど、現場ではそれと逆のふるまいをしないと、撮れない。撮れる方法が別にあったのかもしれないけど、現行ではできなかった。ちょっと矛盾している。

反戦のために、軍隊を出すようなもの…?

とにかく、撮影が終わったら、自己啓発本よりも、小説がよかった。小説の世界にくるまれていたかった。「夕映えの道」はそれこそ、世間から、まったく存在を無視された、90歳の老女にまつわるお話である。お金もなく、醜く老い、大した知恵もない。この世から見捨てられたような老女。誰も彼女に関心を持たないし、希望もないはずだ。…けど、ひとりのキャリアを持った中年女性との出会いで、ふたりの人生が微妙に動いていく。世の中からみたら、どーでもいいと思われるような、中年の女性と老女との心のつながり。その様子を、甘さに落ちることなく、淡々と描いていく。ああ、この世界だと思った。自分が描きたいのは。なんか。

出世とか美貌とか、大きな声で語られる物語から抜け落ちるもの。弱くて、みじめで、なにものでもないもの。それを世に出していくには、ものすごい労力がいるんだけどね。

それでも、めげずにいきたいな。

今週は久しぶりに映画を見に行こう。