山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「レスラー」

映画「レスラー」を見て来た。

特にプロレスファンではないけど、あのミッキー・ロークの主演作である。早く見たかった。けど、なかなかスケジュールが合わなくて、今日、やっと行けた。

いや~救われない映画…である。見終わって暫くは、脱力しちゃって、映画のキャッチコピーにあったように、「人生は過酷だ」ってことを考え続け、立ち上がれなかった。これ、自分がもっと若かったら、別の見方ができたかもしれない。けど、この映画は、まず、「老い」を執拗にリアルに描く。往年のセクシー俳優、ミッキー・ロークの悲しいほどの老けぶり。レスラーらしく、身体は鍛えてあるんだけど、顔全体についた肉とかシワとか肌の色つやとか、それはもう、全身で、「老いること」を表現している。老眼鏡と補聴器は手放せない。それだけじゃなくて、老いたレスラーの現実を痛いほど描く。20年前のスターレスラーは、トレーラーハウスに暮らし、家賃さえ満足に払えず、普段はスーパーでバイトして暮らしている。家族もいなければ、恋人もいない。。プロレス以外、とことん、何もない。

そのプロレスでさえ、試合前の打ち合わせがあったり、仕込んだカミソリで傷をつけて血を流したりと、「キレイゴト」ではないということが執拗にリアルに描かれる。老いたレスラーたちの姿も、手加減なしに描く。その描きっぷりにまず、参る。けど、そこまでプロレスの嘘…と呼ぶには、失礼な気がする、プロレスの現実を描いていても、その画面から、プロレスへの愛情をあふれるように感じた。プロレスってこういうもんだけど、それでも、わたしはそれを愛する…というような強い思いを画面から感じた。その姿勢にまず、なんか、頭が下がった。

そんななか、ギリギリのレスラーであるミッキー・ローク(映画のなかでは、ラム)が心臓発作を起こしたことで、人生に対する見方を変える。引退を決意するわけだ。音信不通だった娘に連絡したり、お気に入りのストリッパーに愛を囁いたりする。次に試合したら、死ぬからである。ラムは、老いを受け入れ、新しい人生を彼なりに歩もうとするのだ。スーパーの仕事に精を出し、娘との距離も縮まる。

けど、やっぱり、彼の居場所はリングでしかない…結局はそれに気づく。リングに戻ることは「死」を意味するけど、彼に迷いはない。そこが彼の帰る場所だからだ。最後の試合で、大逆転で勝利するとか、愛が実るとか、そんな「ヤワ」な結末はないのだ。

いやあ、なんだか。

最後の試合のラムの姿。狂気とも思える技の数々。そのなかで、彼はきっと確信している。「もう、死んでもいいや」と。これで死ねるなら、本望じゃないかと。その声が聞こえるような気がする。

それがなんであろうと、ひとつのことに一生を賭けたひとの強さと惨めさとやっぱり、強さを非常に感じてしまった。

老いることは過酷だ。かっこいい大人とかダンディとか、口当たりのいい言葉が全部嘘だってことを全身で見せられた気がした。その容赦のなさがかえって、心地良かった。いや、結局は、そんなふうにボロボロになったミッキー・ロークは、やっぱり、めちゃくちゃ、かっこいいんだけど…。

20年前、「ナインハーフ」で見せた、nyに暮らすリッチでクールなビジネスマンの姿。それはとってもセクシーだったし、その姿に自分なんか、やや人生を狂わされたと思う。(いろんな意味でね。詳細は秘密として)。そのときのミッキー・ロークと、今の彼は、ものすごく違うけど、でも、かっこいい、やっぱり、セクシーってところは、変わらない気もした。彼はやっぱり、とてつもなくセクシーだ。老いてさえなお。

いつか、「レスラー」みたいに容赦ない映画、撮りたい。できるといいな。