山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「空気人形」

今日は、自分の映画「すべては海になる」のマスコミ試写の二回目でした。

いつも試写の会場にいるというわけではないんですが、今日は、長年お世話になった方がいらっしゃるとあって、終映頃、でかけました。その方とは、長いつきあいの間にいろいろあったのですが、まずは、見に来てくれたってことがうれしかった。それについて、お礼を言いたかった。

というのは、ひとが足を運んでくれるというのはとても大切なことだからです。自分ごときであっても、仕事の関係でいろんな試写状やお芝居の招待状などをいただくことがあります。できれば全部行きたいとは思いつつ、時間は限られているから、どうしても、「見たいもの」が優先になり、伺えない場合もある。だから、忙しいひとが、自分の映画の試写に来てくれる…というのは、それだけでまず、すごくうれしい。感謝の気持ちです。

映画を気に入ってくれるかどうかは、もう、そのひと次第なので、なにより、「見てくれる」というのが大切なわけです。「見たい」と思ってくれることがうれしい。そして、思うだけじゃなくて、実際に足を運んでくれることがうれしいんです。

人生の時間は限られているから。

昨晩は、DVDにて「少年メリケンサック」を見ました。先週末、大人計画の舞台を見て、宮藤官九郎さん、すごいおもしろい芝居をしていらしたので、見たくなったのでした。宮崎あおいさんが、大熱演でよかったなー。こんな芝居もするんだーと思いました。芸の幅が広いなあと思った。

それから、今日は、夜、渋谷で映画「空気人形」も見ました。是枝裕和監督の最新作です。…そうか、そういう映画だったんだ…というのが、まずの感想。ご存知の方も多いと思いますが、空気人形とは、つまり、ダッチワイフです。男性の性欲処理のためにつくられた人形。それが、心を持ってしまう…というテーマは前から知っていました。なので、漠然と、「性」に関する映画かと思っていたのでした。

けど、ちがっていた。「性」はひとつの役割りでしかなかった。空気人形は、「性」を目的とする「人形」なんですけど、この映画のテーマは、「性」ではなく、「人形」のほうにあったのだ…ということが、見終わってしばらくたってからわかりました。そうか、人形を通して、人形みたいに、生きている人間を透写するお話なんだと。人形は、誰かの身代わりかもしれないけど、人間だって、誰かの身代わりかもしれませんよ…と。でも、「身代わり」じゃないひとなんているのかな。そもそも、「身代わり」であって、悪いのだろうか…ということを考えさせるお話でした。

ペ・ドウナさん(大好きな女優さんです。「子猫をよろしく」が良かったなー)が、心を持ってしまった人形の役を、ホントに人形っぽく演じていました。

昨日から、「クヒオ大佐」「少年メリケンサック」「空気人形」と続けて見て、映画ってやっぱり、自由だなあと思った次第。それぞれの監督が、(実際は知らないんだけど)とても、楽しんで、いや苦しんでかもしれないけど、命を吹き込むように映画を作っている感じが伝わって来た。それが、なんともいえず、うれしかった。

その映画の匂いみたいなものが強烈にあるなーと。テレビってどこか無味無臭というか、作り手の足跡を消しているような気がするけど、映画って、監督の色が濃くでている。何度も書いているけど、映画って、「監督が世界をどのように見ているかを描写するもの」だと思う。(いや、そういう種類じゃない映画もあるけど)。自分は監督が見ている世界を見せてくれる映画が好きです。

「空気人形」を見ながら、そのことを強く思った。自分は、ペ・ドウナ(ー空気人形)を通して、世界を見ました。