山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

目の前の仕事を一生懸命やる



近所のフレンチに行って、夜ご飯を食べてきました。デザートにプリンとロールケーキを頼んだら、サンタがついてきた。薄暗い店で、携帯で撮影したので、状態よくなくて失礼。(サンタも食べてみました。固かったです)

最近はクリスマスとはいえ、フレンチにカップルばっかり…という感じではなくなった。自分が行ったのは、手軽な値段の店ですが、店内を見回すと、家族連れ…といっても、両親がすでに50代くらいで、その息子夫婦みたいな感じ一組、20代くらいのカップル1組、30代くらいのカップル1組、20代後半の男女6人(グループ交際風?)…だいたいこんな様子でした。

夜遅く行ったので、カップルと親子連れは早々に帰ってしまい、男女6人のグループ交際の会話を何気なく、聞くことになりました。ちょっと聞こえた話から、同じ業界人らしいと思ったのと、ひとりの女子の訴えが気になったからでした…。

その女子は、現在の仕事に満足できないけど、かと言って他になにをやっていいのかわからない…みたいなことを言ってました。いわゆる大企業のエリートと呼ばれても不思議ではない部署にいるようですが、満足度は低い…「これが自分の本当にやりたいことなのかしら…」と心情を吐露していました。(おそらく、彼女はどこかのテレビ局の局員であるらしいのですが、制作ではなく、総務的な部署に配置されているようす)

彼女の問いかけに対して、友人たちが口々に意見していくのですが、最後のまとめとしては、「とりあえず、目の前にある仕事を一生懸命やろう」ってことになりました。「それしかないよね」と彼女も、うなづいていました。

そうなのか?

私は、席を立って、悩める女子の隣に座り、テーブルにあったボトルからワインを一杯、自分のグラスに注ぎながら、「それ、ちがうよと思うよ」と語り始めました。

年齢を重ねて思うことは、「若い頃に望みもしなかったことが実現する確率はものすごく低い」ということです。そして、「なんとなくちがう」と思いつつもその仕事を続けていると、生涯、「なんとなく違う仕事」をして終わってしまうということ。これは確実。

誤解されると困るけど、自分は、みんながみんな、「自分がやりたい仕事」「好きな仕事」を目指す必要はないと思うのです。そして、なんとなく違う仕事をして、一生終わってもいいじゃないかとも思います。みんながみんな、プロジェクトx(古いか…)にならなくても。

今、特にやりたいことが、なかったら、たぶん、生涯、やりたいことはないんだと思う。そして、そういうもんなんじゃないかと思う。

自分の知り合いたちの人生を振り返っても、「やりたいこと」があるひとは、貧乏しようと、成功の見込みがなかろうと、気づくと始めちゃっているもんでした。迷いがない。その道しかないような生き方をするんですねえ。

で、その他のひと……特にどうしてもやりたいことのなかったひとたち……そういうひとが大部分だと思う……そういうひとたちは、偶然始めた仕事に疑問を感じつつも、適度に順応して、その道でなんとか生きていく。レストランにいた女子が、「目の前のことを一生懸命やる」って結論に落ち着いたのは、ある意味正しいとは思います。そうやって、目の前の仕事を一生懸命やっていくうちに、その仕事が、自分の仕事になっていくものだから。

そこには、好き嫌いは関係なく、うまいヘタもそれほど関係なく、一生懸命続けることで、体得していくものがあるんだと思う。そして、人生を振り返った時、「好きで始めた仕事では、なかったけど、そこそこやったもんだな」という結論にたどり着くと思う。じゃあ、それでいいじゃないかって。
そうです、それでいいんです。

いいんだけど、ちょっとひっかかったんでした。目の前の仕事を一生懸命やれば、結論はいずれ出るとは思う。嫌いな仕事、向いてない仕事だと、一生懸命やってもうまくいかないし、だんだん嫌気がさしてくるから……そのときには、もはや「目の前の仕事を一生懸命やる」という道はなくなっているだろう。その仕事をやめるしかない。でも、そこで、また、特にやりたいことがない、わからない、となったら、また、「なんとなく」であった仕事をすることになる。そこでも、前回と同じように、疑問を感じながら、仕事する。いずれ、その仕事に慣れてきて、好きになり、報酬も上がってくれば、そこに留まることになるだろう。これで、一件落着。

結局、何度目の転職で、「そこそこ好きになれる仕事」にあえるかってことになる。あえなければ、職を変わり続けるだけ。そこで思うのは、最初から、そんなに好きになれる仕事、天職にはありつけないよってことを知っておいたほうがいいなと思ったから。そんなんなくてもいいじゃん…と。特にやりたいことがないひとが、「特にやりたいことがないんです」「自分が何をやりたいかわからないんです」と嘆いたとしたら、それは結構普通のことだし、生涯、やりたいことなんて、見つからないってこと。それでも、適当に働いて生きていこうよってことになります。

「目の前の仕事を一生懸命やる」という結論は、自分が何をやりたいのかわからないひとにお奨めなんだと思う。

だって、やりたいことのあるひとは、さっさと会社をやめて、はじめているもん。その時点で悩んだりしないでしょう。

あ…偉そうなこと言いましたか?テーブルから追い出されました。

…なんて、そんな大胆な行動ができるはずないじゃないですか。聞き耳たてるので精一杯でした。大きな風呂敷を広げたわりには、大した結論へ持って行けず、失礼しました。

自分も20代の頃、最初から好きでもなかったのに、テレビの仕事を一生懸命やりました。8年くらいやって、出た結論は、「自分はこの仕事向いていない」ってことでした。しかし、すでに8年という期間をついやしたため、そのキャリアを全否定することができず、会社をやめてからも、テレビの仕事をしてきました。その途中で、小説を書くようになりましたが、もはや、テレビの収入なくしては生活できなくなっていたのでした。テレビの仕事があるおかげで、生活を成り立たせることができるようになってますから、充分、感謝しているのですが、ときどき、ふと、思うのです。大学を出たばかりのとき、就職せずに、最初から、物書きをやっていたら…。

目の前の仕事を一生懸命やるのは大事ですが、立ち止まることもまた、大切なのではないかと。

うまく書けなくて、残念だ。