山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

札幌在住の方へ、愛を込めて…

今日は、一日中、家にいました。

午後2時に起きて、車を売る手配をしたり、映画祭情報を交換したり、真夜中に(午前2時頃)ドーナッツを作ったりして、一日を過ごしました。まあ、大人の一日の過ごし方としては、ちょっと狂ってるかもしれませんが。

そんな自分ですが、週末は札幌へ行きます。

再び、札幌で、映画「すべては海になる」の上映があって、そのあと、
トークイベントがあります。今一度、お知らせしておこう。

 4月16日(金) 19:30~ シアターキノにて (終了予定22:00)

<ゲスト> 久住邦晴さん(くすみ書房社長)、山田あかね(自分・作家・映画監督)
<司 会> 荒井宏明さん(北海道ブックシェアリング代表)

映画を見たあとに、トークをします。映画のこととか、本のこととか、いろいろお話をします。
考えてみると、こういうイベントは始めてなので、緊張もするけど、とても楽しみです。久住さんという方とは初対面になりますから、ドキドキであります。札幌で、とてもユニークな書店をやってらっしゃる方です。

自分の映画も本屋さんが舞台なんで、そういうつながりであります。

昨日、「息もできない」という映画について、いろいろ書いたんだけど、あの作品は、「暴力」に関する映画だと思うのだけれども、自分の映画のなかでも、家庭内暴力がでてきます。「息もできない」における暴力と同じなんだけど、ふるまい方はちょっとちがうかな。「息もできない」では、ストレートな暴力であって、自分が描こうとしたのは、もっと、ヨレたもの、言葉によるイジメの発展系みたいなものだった。

自分が感じる、今の、やりきれなさっていうのは、暴力が、「はっきり」暴力というかたちで現れにくいんじゃないかって思っていて、わかりやすい「乱暴者」が存在し、そいつが暴れる怖さ(「息もできない」はそれを描いていた)よりも、一見、普通の家庭に見えて、一見、普通の高校生に見えて、ほんのちょっとのことで、爆発して、とんでもないことをしでかす…そっちの怖さを表現したいなと思っていたのだった。

生涯、暴力とは関係なさそうなのに、そういう世界にはまる怖さ…みたいなもの。線をひけない感じ。そういうものを描きたかった。けれども、自分がやろうとしていることは、わかりにくいのかもしれない。そこが、もしかしたら、「映画的じゃない」という印象を持つひとがいるかもしれない…と、昨日の映画を思い出しながら、思った。

どうしても、すごくわかりやすいものに抵抗があるんだ。

それはともかく、「映画的」かどうかはどっちでもいいやと急に思った。昨日みた、「息もできない」って「映画的」っていかにも言われそうな映画だった。

自分は、はっきりしない怖さが怖いと思っています。

迷いの多い、自分ですが、札幌在住の方、その近郊の方、ぜひ、16日来てください。
ブログの読者の方は、声かけてくださいねー。

よろしく。

横浜で、5月15日~21日、また、上映するし、ここでもイベントやるから、関東圏の方はこっちに来てくださいね。横浜の映画館は、こじんまりしているので、なんか、ミツな感じのイベントにしたいと思っている。

ぜひぜひ。

本は読んでもらって、なんぼ、映画は見てもらってなんぼ。そのときまで、作品は眠っているから。みんなが見てくれて、読んでくれてはじめて、目を覚ますんだよ。